水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

死とは非現実なものなり

死神というブラックホールが僕らの隣に座っている



合気道 稽古 へと自転車で向かう、大きな 警察の車両が見える、 とっても嫌な感じがする。 向こう側車線の車が滞っている。大きな公園を左手にして自転車を走らせて坂を登ると横に 銀のアルミのようなものでくるまった何かが見えた。 その上に地面に座って両手を抑えている女性が見えた。

 

 その時僕を 事故があったんだと確信した。

 

帰りにも そこの道を通ったが事故があったとこは避けて通った。

 

Netflix のウエストコーク 殺人事件を観ている。

 

ときには謎めいた死が存在する。

 

死ぬということはあるいみで、とても非現実的で不気味なものなのかもしれない。

 

何か死神のようなものが僕らの横に常にいて、なんらかのきっかけで、僕らが弱くなったときに、ブラックホールのように引き込まれてしまうのではないか?

 

この間日本からイギリスにもどり、酷い鬱状態になったときも同じように。

 

私たちをこの世から抹殺するなにかは隣にいるように思える。

 

誰かが死んだ時、何か理由はもちろんある。

 

病気で、 交通事故、ああ残念だったとか、あの人に殺された、かわいそうだ、 苦しい、なんて残酷だとか

 

これって全部「現実の世界」で起きてる気がするけれど

 

そこには大きなギャップがある。

 

そう、死は現実のものではないのだ。

現実世界では「いなくなった」現実はそこにあるが

 

それがどんな原因で(本当の深い意味の原因)死んだのか。

そしてそのあとどうなるのか?

 

誰も理解することは「この世」でできない。

 

だからここに二つの世界が重なっているように思える。

 

そして普段は僕らはエネルギーに満ち溢れているから、そんなことを感じも考えもしない。

起こりうることがないこと、この世から消え去ること。

 

それが死である。

 

生きるエネルギーを失うと。 簡単に引きずり込まれる。

 

それはたとえ正当な理由がなくても、いきなりあらわれる。

 

奇怪な死や、神隠しは、実はそちらの方が別世界ではもってこいのシチュエーションで、本当に彼らは闇に消え去っているのかもしれない。

 

正当な理由とは誰かの目の前で事故にあったり、病気で死んだり、殺されたりだ。

 

なぜこう感じたかというと、

 

昨日の交通事故に出くわして、そこの時空が

 

「歪んでいる」

 

ように感じたからだ。

 

だからぼくは

 

「そこにいたくない」

と感じた。

 

オカルト的な話ばかりはすきではないが、それがあるいみで、悪い気の場所なのかともおもう。