水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

日本はおかしな新興宗教②

教えることでトラウマから解放された



最近の夢。

僕は授業をうけたり、教えたり、うけたりする夢を見た。

僕は楽しそうに

「また戻ってきちゃったな。」

 

 と言ってクラスの自分の席へ戻る。 今度は僕が授業を受ける立場だ。

 

僕はワクワクしている。

 

楽しくてしょうがない。 授業がこんなに楽しいのがわからなかった。

 

初めての学校でいい思いをする夢だ。 こんなにワクワクする学校の夢ははじめて。

 

この夢は僕に強烈なものを伝えてくれている。 学校が恐怖だった僕が、今は子供たちに授業をときどきしている。

 

教えるのが楽しくてしょうがない。でも一方で向こう側には学校が恐い、席に座っているちっちゃい自分がいる。

 

教えることで、いかに学ぶことが面白いかということを知ったから、反対側に座ってる過去の自分は楽しくていいのだ。

 

マインドシフトすればいいだけだ。 

 

なぜ学校がこわかったかといったら。

 

「なにかしなくてはいけない」

 

という抑圧に他ならない。

 

ゆめでは教える立場でもあり、教わる立場でもある。 そこに隔たりがないといいたいのかもしれない。

 

今自分が教えて楽しいのだから、聞く方も楽しくてしょうがないはずだということ。

 

どっちも楽しいはずだという事。

 

授業だけでなく、学校という場所は「なにかしなくてはいけない」場所でもある。

 

でもそれがなんなのか説明されていないし、勉強も、友達とあそぶのも、行事に参加しなくてはいけない事、先生との関係、進学、社会へ出る準備などいろいろとある。

 

学校でいじめや、誰かを傷つける人がいるのは、この

「なにかしなくてはいけない」

恐怖から逃れるためではないか?

 

もちろん家庭の問題もあるだろう。

しかし学校が楽しくてしょうがない場所であれば、そんなことをするだろうか?

 

むしろ家庭の問題をみんなにうちあけるのではないか?

 

学校は牢獄ではない。

 

「学校はもう一つの家庭、愛情を与えてもらえるコミュニティーなのだ」

 

教える先生も質をあげていかないといけない。 教えることが楽しくてしょうがない、子供が大好きな教員がどれだけ日本にいるだろうか?

 

僕は数が足りなくてもいいから、教えることが好きでなく、仕事としてやっている、子供が好きでも何でもない(そういう人は何かしら精神的な問題があると思う)人はすべて排除することが必要だと思う。

 

僕が学校で講演やワークショップをする時も僕は子供たちに会えて嬉しい。 

 

純粋である彼らが、可能性を秘めている彼らが、どうにでもこれから変化できる彼らが、目の前にいて、なにかを学ぼうしている。 

 

その純粋さと可能性に僕はとても感動する。

 

そして何か大事なことを伝えなくてはいけない、という瞬間と緊張が挑戦できることに感謝する。

 

ただ一方的なのでなく、どうやってコミュニケーションをとるか、どうやって繋がっていくかということがとても挑戦的で楽しい。

 

いつもよく見る、恐い夢とは大きく違う。

 

教えることでトラウマから解放された

 

今回の夢で一切こういう夢を見なくなるということを望む。

 

Happiness: 8

Reality: 6