水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

食事に誘われたが僕たちは語らなかった

人は喋るべからず

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Artwork by Satoshi Dáte

なにが体の中で起きているのかわからないけど。治る事を信じれば治ると思う。どんな病気でも信じる力が強かったら人なんて病気にならないと思う。

 

喋ると喉がイガイガする。

喋らないとしない。不思議な現象が僕の体で起きている。

 

喋りすぎるとイガイガしたり、無理な歌を歌うとイガイガする。

そんなことを時々繰り返していた。

 

だからこういう結果になった。自分の体の表現がまったくもって間違っていたのだ。

 

友達と無言のディナーに行った。

僕が喋れないことを知っているので、文章を書きながら話をしようと

言ってくれた。

 

僕らはご飯を食べながら無言の会話をする。

 

いや音は聞こえないけど、会話はしている。

 

さてこれはEmailやチャットやメッセンジャーと何が違うのか?

 

違うのはそこに人がいることだ。

 

目も合わせるし。

 

やはり話す内容も変わってくる。

 

面白いことに、僕が喋れないと気付くと道行く人は、僕が耳の聞こえない人だと思う様だ。

 

2週間の耳の聞こえない人になるわけだ。聴こえるけど。

 

会話は楽しかった。

 

凝縮されたことばで、言葉を選んで話すから。もどかしいようだけど、そうでもない。

 

まわりをみると

みなさんずーーーと喋っている。

 

そして彼らは喉を不必要に痛め続けながら喋るのだ。

 

なぜ僕らはここまで喋るのか?

 

人間は喋る。

 

でも動物は喋らない。

 

動物は吠える。

 

人は不自然な方法で吠えるのだ。

 

だから喉を傷める。

 

犬猫が、喉を傷めたことを聞いたことがあるだろうか?

 

喋り始めたことで、言葉を使う事で私たちは物事を深く考えることができるようになったけれど、なにか人は肝心なことを忘れているような気もする。

 

語ることは、言葉を使って表現することは

 

とても美しいことである。

 

だけど僕らは、無駄な言葉をならべ、空間を埋め尽くそうとしてはいまいか?

 

時に人は言葉が使えるということで、人であると認めたいがために

 

必死に

 

「私は動物じゃない」と

 

喉をからしながら叫んではいまいか?