水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

どこいってもいじめられるさとし

多くの日本人はどこいっても日本にいると思っている

IT room - Photographed by Satoshi Dáte

語学学校の話をしよう。

この時期は僕は毎日語学学校に通っていた。

朝から夕方までだったから、かなりハードである。

大抵語学留学に来る人は

午前中か午後でおわり。3時間のみ

 

でもそれでは足りないと思う。

 

僕が最初に語学学校に通い始めた頃、先生の言ってる事が全然わからなかった。

面白いことに英語がわからないアジア人の僕らが英語で「いまなんていった?」と聞くのである。

 

僕はできるだけ日本人を避けた。

 

おかげで、クラスの何人かの日本人に無視される。

 

僕があまりにもストイックだったからか、学校にいる間は「英語で喋りたい、喋ろう」と言った。

 

5、6人日本人がいたが、殆どが連鎖反応的にネガティブなエネルギーに染まる。

だれか一人が僕を無視したら、それに影響を受けるように僕を無視する。たぶん打ち合わせも特にないのだろう

 

「さとしを無視しよう、あいつむかつくから」

とか

 

そのなかでいつもグレーゾーンがいる。

 

どっちにもちかず。 そしてこのグレーゾーンの人はグループに半分くらい半分くらい目をあけて「嫌う」のだ

 

そもそも「嫌う」とはいったいなんなのだろうか。

 

どうしてぼくらは人を「嫌う」事ができるのか僕には理解できない。

 

グループの中には天然というか鈍感というか純粋なひともいる。そういうひとは、彼らが僕を嫌ってることすら気づかない。

 

僕はそういう人達と話をした。

 

しかし、この生ぬるい、そして、どろどろしたわけのわからん日本的空間にあきあきした。

 

早く抜け出したい気持ちだった。

 

人を嫌うという「勇気?」があるのに、彼らはつるむのである。僕は学校が終わったらすぐ帰った。

 

中にはファッションに精通して、服も作れて文化かモードか卒業してるメガネをかけた大きな男がいた。 彼はあからさまに僕に敵対心を抱いていた。

 

ファッションの話になると、やたら「俺の方が知ってる」というような感じで攻撃してくるのである。

 

一度シューデザインのカジュアルなコンペをクラスの中でした。 台湾人のクラスメートと僕はチームになってリサーチをして発表をした。

 

自信はなかったけれど、コンセプトが面白いという事で僕らのチームが一番になった。 ファッションボーイの顔を見たらあまりうれしそうではなかった。

 

僕のスケッチ入りの日記や、デザインなどが壁に張られるようになる。 さぞかし彼らは気に食わないんだろうなと思った。

 

僕は僕の世界を作りたかった。 とにかく近くにいる人達と一緒にいなきゃいけないという考えが僕は我慢ならなかった。

 

なんでイギリスまで来て日本人と話さなくてはいけないのか?

 

僕はもっともっと新しい世界を知って、新しい人達と、考えを学びたい。

 

日本を飛び出してきたのに、日本語を使って日本人と喋るのはいやだった。

 

クラスでデザインミュージアムに行ったとき、迷子になった野球部みたいなクラスメートの男性が英語で電話をかけてくれた事が嬉しかった。 単純な英語をつかえば日本人同士でもわかる。電話でも英語でいいと理解した。

 

残念なことにみんながあつまると彼も日本語になってしまうのだ。

 

僕は彼らのグループの団結力を乱す、「面倒なやつ」だったのかもしれない。

 

はやくヨーロッパ人の友達を作りたい。と僕は必死だった。

 

すくなくても僕はNon Japanese、日本人以外と生活してる。それは自信になった。

 

いつもぼくは自分を励ましていた。それは甘ったれているわけではなかった。無意識に僕は自分にエールを送っていた。 

 

みんなそれができないからコンフォートゾーンにいるのだろう。