水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

小学校の同窓会はセラピーだ

記憶の乖離の穴埋め


日本に着いた。小学校の友達と会う。 うちの小学校は卒業後、男子は男子中学高校、 女子は女子校にいくことになる。 面白いことにうちの母は その学校の音大に昔通っていた。 小学校の教育がとてもよいと聞いていたから僕を入れさせたのだった。

 
そして僕は知らなかったのだが、母も僕の小学校に通っていた。 今はもうない、音楽科のクラスがあり、そこに週2日ほど2時間近くかけて埼玉から通っていた。
 
僕はこの学校の幼稚園からずっと高校までエスカレーター式に受験なしに通学した。
 
幼稚園の同級生で後に小学校のクラスメートにもなるNK さんの母親とうちの母親がたまたま同じ時期にこの小学校に通っていたらしい。 その時に顔を見合わせてはいなかったが、
僕らが幼稚園の時に母親どうしで会話をした時に発覚したようだ。
 
その NK さんのお母さんは普通科であったが共通する色々なものがあって話が弾み 仲が良くなったらしい。そんなわけでNKさんにとっては僕の母の印象がつよく、小さいころ良く面倒を見てくれたらしい。 それがきっかけで、僕はNKさんに久しぶりに声を掛けられ仲良くなった。
 
急にNKさんからメールがきたわけではなく、さらなるきっかけは今年3月に生まれた。
 
僕らの担任の先生が退職なさるということで同窓会が急遽 開かれた。そうでもない限り僕らは同窓会など行っても集まらなかっただろう。
 
その幹事をしていたNKさんが僕に連絡をしてきてくれた。
 
3月にあった同窓会はいけなかった。 みんながどんなふうになったのか。 僕をどんなふうに見るのか? 不安はあったがよくよく考えてみれば、 僕らは家族のようなものだった。
 
私立の学校で、3年生から6年生まで同じクラスだった。 ほとんど何が起きたか、誰とどのくらい仲良かったのか覚えていないがなんとなく、同じ環境で育ったこともあり兄弟のような気がしたのだ。
 
学校と行っても。9時から15時頃までずっといっしょにいるのだ。 家族より長い時間を過ごしているのではないか? 
 
僕は急にみんなに会いたくてしょうがなくなった。 そんな気持ちは全然なかったけれど、本当に家族に会いに行きたいというような気持ちがこみ上げてきた。 
 
この行事のためだけに飛行機にのって帰りたかったけど、そこまで無茶はしなかった。
 
9月に帰るからまた、会えたら嬉しい。 思いを込めて先生と皆へ手紙を書いた。
 
「内気で、体も弱い、僕と仲良くしてくれてありがとう。家族の様なみんなと会いたい」
 
3月の同窓会でその手紙を幹事の人が読み上げてくれたらしい。
 
その気持ちが伝わったのか何人かが僕のために 9月にまた会おうということで、ずっと会わなかった皆が年にすでに2回目の集まりを企画してくれた。NK さんとは LINEで話し合って、色々話が弾んだのである。
 
そして2回目の同窓会が始まる前に、僕はもう一人、彼女と仲良さそうな少し引っ込み思案だったもう一人のクラスメートと3人で会うことになった。 2人は全然変わっていなかった。 もちろん二人とも、そして僕も大人になったので、へんな壁はない。 
 
とても話しやすかった。
 
しぐさも、表情も、考え方?もおなじだけど、大人なためにスムーズにはなしができる。 警戒する必要もないのだ。 
 
警戒、なにに? いや小学校の時は他人の眼をみて、大人の眼を気にして行動できない何かがあった気がする。
 
もう1人の内気だった女の人、RUさんはとても自立していて、しっかりとした仕事をこなしていた。
 
結局は昔話に花を咲かせるが、それはただ単に昔の話というものではなく、僕はこれは確認であると感じるようになってきた。小学校の同級生と会って何か意味があるのか、そんなもの覚えてもいないし、時間の無駄だと言う人もいるかもしれない。
 
でも僕は非常に重要な会合であると思う。 セラピーのようなもので、記憶の乖離や自分自身を見つめる上で、とても良い機会になる。
 
不思議なことに、小学校の間で一緒になるカップルも結構いるのだ。 
 
なぜか?
 
それはやはり、皆がおなじ共同生活をして、ひとつの塊として、生きていたから。 互いに影響しあい、互いに愛し合い、支えあって生きてきたからだと思う。
 
2人の仕草は小学校の時から何も変わらず、 子供がそのまま大人になったようだった。
 
では子供のころの自分と、今の自分とはなんなのか。 何のために成長するのか。本当に私たちはなにか変わったのか? 人生とは何なのか? 考えさせられる。