心を解き放ち、サイクルを断ち切り、大切なことに集中しよう
生きていればあらゆる問題が人生の壁として現れる。
真向に向かうことも、逃げることも、すっとかわして抜け道をみつけることも、よじ登って先に進むこともできる。
問題というのは問題と考えるから問題になるともいえる。
誰かが文句を言ってきたり、いじめてきたり、傷つくことをしてきたり、無視をしてきたりしてくるのは
私たちがそうさせている、その問題を投げてくれれば対応すると伝えてはいないだろうか?
問題というボールを投げて、そのボールを受け止めたり、追いかけたり、困惑したりしてくれると思って彼らは投げる。
「投げてきたものを感じてあげる」と私たちが思っているからこそ投げてくるのではないだろうか?
問題を投げつけてくる人は「自分の問題を相手に投げつけているだけ」である。
退去できずまるで熱くなったボールを他の人に受け渡しているようなものだ。
あなたが通りすがりの人であったり、そんなボールを投げられても、あたらなそうだったり、透明だったり、かわせるような人だったり、無関心な人であったら
彼らは絶対にあなたに投げつけない
<「気にしない」 - あなたの心を傷つけない魔法>
たとえ通りすがりの他人であっても、この人だったら当たると思って投げてくる。
無差別で人を攻撃する人もいるが、彼らが精神疾患を抱えていても、やはり人、時間、場所を選んでいる。
なぜなら、彼らは足を運んで人混みや人がいる場所を選んでいるからだ。
鉄の鎧をしているひとや、透明人間に攻撃はしないであろう。
それはもちろん、自分の問題をぶつけることが不可能だからだ。
ではどうしたらよいか?
「気にしない」
というのは実によい方法だ。
これは逃げているわけではない。
その問題を理解しているが巻き込まれないこと、その問題の中にいないことだ。
その問題があっても
「大丈夫だ」
という自分を創り上げることに等しい。
逃げるとまたその問題はやってくるだろう、なぜならその問題を投げつけてほしいとみんなに伝えている人間から脱却していないからだ。
ここで逃げる行為は、考えないようにしたり、何か別の事でごまかしたり、突き放したりすること。また逆にさらに大きな力でその問題を押しつぶすことも同じである。
「なんで彼らはこんなことをするのだろう?」
と考えれば考えるほど、彼らの思うツボである。
たとえ口に出さなくても、それは態度や、気で、彼らは感じる。
考えていることは全てあなたの行動や思考に影響を与えていく。
その問題で心配になったり、イライラしたり、毎日考えて不安を膨らませたり
その問題はどこまでも大きくなり、次第には大きな爆弾でも落としてしまったらいいのではないか?とまで広がる。
実際にそういう妄想が、戦争をおこす。
根元は私たちの心にある。
問題を投げかけられた人が、自らその問題をさらに増幅して、投げた人もしくは全く関係ない弱者や繊細な人に投げつけるのだ。
<「きにしないこと」の力>
それを問題と感じない事。
私たちは彼らよりももっともっと高い位置にいる。
厚い仮面や重くてしょうがない鎧をみにつけたり、攻撃する人よりも強い武器を持つことはなにも解決にならない。 世の中にはそういう人で沢山だ。
高い場所にいる人は繊細で、感受性が高く、真実をみるちからがある。 不必要な武器や道具や仮面を持たないでもあらゆる問題に対応できる「力」を持っている。
彼らの問題に集中するのではなく、自分にとってしなくてはいけないプロジェクトに集中することだ。 彼らの仕事を受け入れる必要はない。
ぼくらはそういうどうでもよい問題をじつに無意味で無駄なゲームをしているように、何万、何億人の人が列をなして熱くなったボールを受け渡しあっているのだ。
そんなところにいてはいけない。
自分の世界に集中して、
「気にしない」ことだ。
他の人に相談することもまたその問題を「問題」と認識してることになる。
もちろん、悪い気を出すということで、誰かに聞いてもらう事は重要である。 けれどもそこでまた友人や聞き手といっしょにその問題に憤慨し、大きくすることは不健康である。
それはそう、その人はそうである、ということで
彼らの土俵にいてはいけない。
<具体的な対処法>
例えばいつも同じことを注意しても、きかない人がいるとする。 その人は
・自分にかまってほしい
・きいていない
・うっとおしいと思っているのでいう事をききたくない
・言っていることが理解できないか、そこに重要性をもっていない
などの理由が考えられるが、こちらがそれにいらいらしても無意味であることがわかる。
2、3回同じことが起きるようであれば。
無視してくる人がいたらどうしたらいいか?
なにも気にせず話しかけたらいい、それが普通となりこころを開いて「こんにちは」を返してくれるかもしれない。 こちらが考える「普通」が彼らを変えることもある。
自分が気にしなければ、声をかけなくてもいい。値しないのであれば、自分の世界にいきていたらいい。
いじめや、四面楚歌な状態であったらどうか?
気にしないという気持ちになれなくて、なす術がなければ、環境をかえたらいい。それは逃げるわけではない。 自分はこれを対応しなくてはいけないと自分を責めることはある意味では逃げである。
より権力をある人に相談をするか、物理的に場所を離れればいい。 「気にしない」ことができなければ、環境を変えることも大事だ。
最悪国外に留学したり、亡命だってできる。
大事なのは問題に巻き込まれない事だ。
<自分の世界に生きる事>
諦めるというよりも
「気にしなければいい」
攻撃をしてくる人がいても
「気にしなければいい」
自分の世界を作って、自分のやるべきことを毎日すればいい、
彼らはノイズでしかないのだ。
こうやって言う事は簡単である。実践して「気にしない」を実行するのはむずかしい。
けれどもこの「気にしない」という魔法の言葉は意外と簡単にできる。
The happiest people are those who have their own world
もっと幸せな人とは自分の世界を持っている人
他人の問題に関与する必要はなく
自分の世界に生きて、空を見上げて、微笑んで、どの瞬間でも充足した気分になれる人に勝るものはなにもない。