水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

正当性のある夢とは/美術部回想② – イギリス留学<準備編>

学園祭で大賞を取った話。

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実は漫画家になりたかった。 でもまだなっていない。私は夢を諦めたのだろうか?漫画が別の表現に変わっただけだと思っている。 小さい頃は科学者になりたかったとか言っていた。

 

まあ子供の言っていることなんて聞く必要ないです。

 

ころころ変わるので。

 

と考えると。

 

夢はいつから、ほんとの夢なのだろう。

 

というのは夢を持ちなさいと言う夢。

 

はどれが本当の本当の「これだ!」と決定した「夢」なのかなと思いました。

 

なんとなくで「僕の夢は...」と皆さん言ってるのかどうなのか。

 

もちろん、科学者はなんとなくでした。

 

漫画家は小学校の時描いてました、たくさん。なので目指してはいたとは思いますが。生ぬるかったと思います。

 

絵はまあ描けましたがうまくはなかったかと思われます。

 

どれだけ現実的か? もうすでにできる事で、あと一歩足を踏み入れれば出来る事を夢とはいわない。 夢は夢。できそうにないことを夢と言う。

 

子供のころはもちろん、なんでも夢になる。

 

その夢の正当性ってどうやって決まるのだろう。

 

たとえば、僕が科学者になりたいと言い続けて。大人になっておじさんとかおばさんが、

「あれ昔は科学者になりたいんじゃなかったけ?」 みたいなことになる。

 

それが夢を諦めたことになるのか... いい加減なことを言っていたのか。 「夢」をみていただけなのか?

 

どれだけパッションがあるか?どれだけ好きなのか?やりたいのか?でもその夢の正当性が変わる。

 

どちらにしても、その人にしかわからないのだ。どれだけ正当性があるか。

 

どちらにしても... 夢はあったほうがいいし、ある方が楽しいし、希望も生まれる。

 

夢や希望がなくて、いきるなんて、地獄ではなかろうか?

 

明日どうしたいか、来年どうしたいか、どうなりたいか、それも夢である。

僕は漫画家になるのは向いていないとうすうす感じていた。

 

 

丁寧な作業が苦手だった。

 

中学に入ってすこしは漫画を描いていたけど、勉強でそんな時間はなく。 美術部に入っても結局は油彩を描いていた。

 

たしか中学三年くらいになったら、だんだん授業についていけなくなっていた。 この時UKロックや映画、美術に魅了されていたので、勉強は嫌だった。

 

歴史や地理以外はあまり興味がなかった。文学にもあまり興味がなかった。 だれかが一斉にしている事についていくのが嫌だった。 みんなでマラソンを毎日させられているみたいで嫌気がしていた。

 

そこで僕は美術部というサンクチュアリー(聖域)をみつけて楽になった。

 

美術室の横にある小さな部室に休み時間は駆け込むのだ。 

 

そこにいくと、先輩たちがたむろっているか、同級生の友達がいたりする。

そこにギターがおいて、静かに練習などしてしまったりしていた。

 

先輩がベースを置いていって、ぼくがずっとベースを弾いて練習していたから、

 

「そんなに練習してるならあげるよ。」

 

といってくれてもらった。

いまそのベースはイギリスロンドンのスタジオにある。

 

美術部で活動しているときは、好きな音楽をかけて、ただひたすら絵を描いていた。

 

幸せな空間だった。

 

部活に来る人は殆ど美術を目指している人ではなかった。 すごく描ける先輩もいたけど、なぜか美術の道に進まなかった。

 

学園祭で下田先輩のおかげで大賞をもらったことがあった。 今考えれば、結構精力的に彼はやっていたなぁと思う。 とてもおたくな方で、運動部のひとには嫌われそうなタイプであった。

 

遠くから見たら絵になる、モザイクの白黒の板を地面に敷き詰めたり、おおっとおもうような万華鏡みたいなのをつくったり。

 

デザイン性の優れた作品を沢山つくっていた。

 

そのとき辻先輩が部長であったが、彼の活躍に少し辻先輩は嫉妬していたようだ。 とてもどうでもよい争いだったが、どんな小さい世界でも争いが生まれるのだなと思った。

 

そしてこの二人はとっても仲が良かったのに犬猿の仲になっていくのであった。

 

次はナックルで血が!!! の話です。