水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

日本人って何?

殻を破ることで日本を語れる。

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中高の英語の先生はぶつぶつと日本語だか英語だかわからない言葉で黒板の前でしゃべる。

アメリカもオーストラリアもカナダもイギリスもこれっぽッチも感じない。

 

せめてBGMだけはエルビス・プレスリーとかビートルズにして欲しい。

 

エルビスは典型的かもしれない。でも彼は偉大なのである。

ポール・マッカートニーにも影響を与えた。

 

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この曲は知らなかったですが。やっぱりかっこいいですね…

 

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カリスマ性と言う意味では…なんでしょうアメリカのミュージシャンって「厚い」感じがしますよね。イギリスのミュージシャンより。

 

youtu.be

 

ぼくは中高名門校たるところにいったが、はっきりいって素晴らしい英語の先生なんていなかった。

 

そもそも日本の英語教育が変わらない限り、英語を幼稚園から始めようが同じである。

 

色々な人種の人がいて、文化も多種多様だということを肌で感じることは大切だけど、そういった英語を教えたり、他国の文化に触れながら日本の伝統や良い部分の国民性など保つなど、文科省が本気で戦略を考えるとは信じがたい。

 

国際的になるためにむやみに英語を勉強することによって、日本人ということを忘れ日本語もおろそかになってしまったら、一体全体アイデンティティとして我々は何を見せるのであろうか?

 

今現在の状態でも「日本人」とはなにか?いや日本人とは何かを語らなくてもいい。

 

なぜなら日本を語るときに日本人である必要はないと僕は思っているからだ。

 

僕は日本人だと思っていない。ただ日本に長く住んでいたので日本の事を語れる。

 

日本人である誇りだとか、なんだとか意味をなさないと認識しているからだ。

 

人間ができていれば、日本人である必要はない。日本に育ったことがあるということで

「日本の文化や伝統」を紹介すればいいのである。

 

日本人だからどうこうという立場で話すと、日本文化や伝統を変に背負ってしまう時がある。また日本人だからこう!という不思議な殻に閉じこもってしまうのである。

 

今現在の現代人日本人が、日本について語れないのは

 

なんだかわからないみせかけで嘘の日本と言う「殻」に閉じこもっているからである。

 

本質的な日本をしるにはやはり

 

人間性を磨かなくてはいけない。

 

そうすれば自然と日本を語ることができ、同時に多種多様な文化や伝統を受け入れ理解することができる。

 

日本の教育は英語も全て、自分を見つめ「自己」を見出すシステムになっていない。

 

僕みたいに外に出てアスファルトの地面に叩きつけられない限り目を気付かないのだ。

 

自己を見出すとは

 

簡単に言えば「自立」するということである。

 

自立が出来ていないから、インターネットで悪口をいう人が増え、浅はかなアニメをみて、コンピューターゲームを毎日して大切な自分のエネルギーと時間を無駄にするのだ。

 

何を固いことをとあなたは言うかもしれない。

 

人生は山あり谷あり、辛い事を避けることは不可能。それに対して受け入れ、邁進するには鍛錬以外ないのだ。

 

なにも茨の中に身を投げろとは言っていない。

 

自己をみつめるのだ。

 

大体それ以外に一体何を人生と言えるのだろうか?