水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

デジタルには魂が宿れない②

手作りのアートに魂が宿る

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子供に夢と希望を与えたい。 それは誰しも思うのではないでしょうか? 

 子供を授かって、または授かる前に、世の中は絶望的、未来なんてない。と思うでしょうか?

 

自分の子供が幸せな大人になる事。彼らに輝かしい未来があるのを望むのが自然ではないでしょうか。

 

子供が見る教育番組のアニメ―ション、一般的なアニメーション。なぜこんなにCGのものが多いのでしょうか?

 

その理由には効率の良さ、製作費の安さ、わかりやすさがあるからかもしれない。

 

もしかしたら子供がお客さんになっているから、子供ベースで考えられているのでしょうか?

 

親の希望でしょうか? 

 

最近では携帯電話やタブレットでできるデジタルのゲームが沢山ある。 イギリスでも子供の相手が面倒な親が、携帯を与えてゲームをさせているのをよく見る。

 

いまや夢中になってコンピューターゲームをする大人もいる。

 

コンピュータグラフィックスやデジタルの何が問題なのか?

 

そこには魂が込められることができないからです。

 

ビッグバンというものがもし、本当にあったのだとしたら、

 

私たちはそこから生まれたものでしかない。

 

ビッグバンから生まれたものは全て繋がりがあり、人間もまた、経過を経て、出来上がって自然の生き物。

 

その僕たちの延長(Extension)である手というものを使い、五感を使って作り出す物。

私たちの延長である限りそこには魂が宿る。

 

なぜならそこにはむかーしむかしからの繋がりがあるから。人口のプログラム、人口の非自然から生まれたものではないから。

  

ビッグバンからの見えない繋がりが僕らのいう魂なのかもしれない。 

 

魂とはビッグバン以前から授かった、元の世界に繋がった何か、なのかもしれない。