水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

デジタルには魂が宿れない③

生きる意味はいいから

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映画「生きる」から

魂を込めて作られたものは、私たちが私たちであることを気付かせてくれる。

私たちはそういった気付きを毎日再確認していく。

 

 私はデジタル技術を使って作品を作ることもあります。でも0から100までデジタルを使うことはないです。 アナログな、なにかしら「自然」なやり方で作られたものを再処理する。

 

その過程で、やはり魂を込めたものが薄れてしまうかもしれない。けれどもコアにあるもの、核なるものが伝われば、その元の部分へと皆を導けると思います。

 

なぜデジタルのものには魂が込められないか。それは、デジタルのものはすべて電気を通して働くから。

 

目の前にあるモニターの画像も、私が書いた文字も、電気で表している。

 

電気は常に動き、とどまらない。

 

電気が電気用の椅子にすわって。

 

「はあ疲れた。少し休ませて」

 

とは言わない。

 

落ち着かないで、常に忙しくしている。そしてほおっておいたら消えてしまう。 

 

私はそういうものに魂が宿ることはないのであろうと思う。

 

魂と言うとスピリチュアルに聞えるかもしれない。 

 

私は魂を存在力 (Quality of Existence)という。

 

生きているエネルギー。

 

そこに「ある」と感じる、何か。

 

デジタルで処理されたものは、その存在力をただ形どったアウトライン。 抜け殻のようなものだと思います。

 

子供達が「生きている」「確かにそこにある」ものでないものを見続けて、感じようとし続けたら、感じることのできない物から感じようとし、偽りの感情を作り出してはしまわないでしょうか?

 

 

魂の込められた作品には、生きていく中での、苦しみや喜びというものを「直」で感じることができる。 

 

そういうものに触れていないと、自分が存在している理由すらもわからなくなるのではないでしょうか?

 

私達は、生きていて、存在する理由だとか、生きる理由だとか、何のために生きているかなんて考えないかもしれません。

 

でも少なくとも、自分が存在している確かな今というものを感じて生きていないでしょうか?

 

今を感じるために、楽しかったり、幸せを感じたりするために、毎日生きていないでしょうか?

 

そのことを感じられてない人はたくさんいるかもしれない。

 

生きる意味とか幸せだとか、難しい事を考えなくても、

 

自分が「今」楽しくて、充実感を感じることは常にできる。

 

私たちは、そのことだけを産声をあげてから、ずっとずっと持ち続けることができる。

 

ただそれをしていけばいい。

 

その充実感を感じるためにも、

 

その充実感を込めたものたちに囲まれて生きることが大切だと思う。

 

 

<魂が宿らないのなら。お化けもデジタルの世界にはやってこられないかもしれませんね。電気だからフルフル震えてお化けも嫌がりそうです。>