子供の世界
ラピュタ阿佐ヶ谷という映画館の企画で、ロシアのアニメ作家ユーリ・ノルシュテインと高畑勲の対談があった。 ノルシュテインは宮崎駿と高畑勲と仲がよかった。という事実を後で知りました。 今回の対談はいったいどこからはじまったのか不思議に思っていた。映画館側がむりやり企画したのか、作家のどちらかが歩み寄ったのだろうか?
二人が話をしてる感じでは、高畑さんが非常に尊敬の目でノルシュテインを見られているのが感じられた。
宮崎駿も高畑勲も流石にアニメの作家だから、僕が知っている海外のアニメ作家の事はもちろん知っているだろう。先にあげた、クエイもシュワンクマイエルももちろん知っているだろうし、交流があったのかもしれない。
ノルシュテインの絵はとにかく素晴らしい。 ノスタルジックで、不思議で、形と色が崩れてて、なんとかバランスを整えて存在している感じ。
対談の前に、ノルシュテインが制作中の「外套」を放映した。 お金がなさ過ぎて、制作がとまっているそうだ。ロシア政府も助成金を一切出してくれない。
そしてロシアの教育番組用(小さい子への)のアニメも放映された。
対談がはじまると、高畑さんは
「こんな素晴らしいアニメを子供のころから見れるなんてロシア人がうらやましい」
と語った。
世界中どこでも、教育番組のアニメがほとんどCGです。ああいうものを見せる大人が僕には理解できない。 ディズニーもそうだけど、デジタルは偽物である。 大人に見せるならいいとおもうけど、効率が良いからといってなんでデジタルにするのか謎だ。
ものは自然から創られたもの。人口のものほど自然に近い方法で製作しなければ、子供も感じない。
ぼくらは自然の中で生きて、自然の中で育っていく。 教育も教えも、人間が勝手に作り上げたものではないはず。
手に触れることができない二次元の世界であればなおさらだ。
ノルシュテインの作品をみて大半の大人たちは、暗い、恐いと言うだろう。
子供たち、僕はそう感じられないと信じる。
鮮やかな色で、くっきりとした形は、僕は心理学を大学で専攻したわけではないけれど、きっと世の中はこういったものだろうと勘違いさせてしまうのではなかろうか?
ぼんやりとしていても、暗くても、ちょっぴり恐くても。こどもはその抽象の世界で、確かな魂を感じ取られるのではないでしょうか?
魂を込めて! と大人たちも言うように、魂は作品に込められているのだ。
CGのアニメすべてが悪いわけではないけれど、つるつるすべりやすいがちがちのデジタルアニメでは、子供たちに伝わらない。
お話しが面白いからいいのではない、はっきりくっきりわかるからいいのではない。
子供が感じなくてはいけないのは、私たち世界の真理だ。
一体全体私たちの生きていく人生で何が必要か真剣に考えれば、子供たちに何を与えたいかわかるのではないだろうか?
高畑勲もノルシュテインもそれをよく理解しているのだと思う。