水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

ファスティング(絶食)をしよう⑭ 小2の断食の記憶 

女性の美とは? 

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絶食の話にもどります。入院していたときの話は僕の人生でKeyポイントなので、しばらく続けたいです。記憶を蘇らせるという意味でも。

 

看護婦さんたちはいろんな人がいた。かわいらしい人もいれば、ゆったりした人、綺麗な人などなど。女性というものが、学校にいる子供たち、親戚、先生、母親くらいしか知らない時期。大人の女性が自分の世話をしてくれるのに違和感を感じた。

 

おもしろいのが、いわゆる美人な人達が、採血がへただったり、冷たかった。 こどもなりに、「そうか、綺麗な人は冷たいのか」

と思い。 将来の自分にメモをしたわけではないが、頭にしっかり記憶させた。

 

かといって、おっとりしているひとでも、かわいらしい感じの人でも、ぼーっとしててなにを考えているのかわからないのも恐かった。

 

綺麗目の人は仕事がはやいが、あらく、表情が硬いと思った。

 

大人になってお嫁さんをもらうのに(すみません、この当時はそういう言い方をしていたと思うので)どんなひとがよいのだろうか?

 

人間誰しもが結婚するものだと、思っていた自分は今からでも、どんな人がいいか選ぶべきなのだと思っていた。

 

この後合唱団に入ることもあり、小さい頃は大人の女性に囲まれる機会が多かった。

 

看護婦さんはみな忙しく、話なんかしている暇はほとんどいなかった。 話なんてしていたら、婦長さんに怒られるのだろうなと何となくわかっていた。

 

そんな不可思議な女性像を勝手に描いていた病院の夜は恐かった。

 

看護婦のヒールの音が夜廊下に聞こえる。

 

あれはなぜか凄く恐かった。 なんで夜中に歩いているのだろう。 時々小走りだったり、走る音も聞こえる。 そして無言なのでもっと恐い。 

 

そうだ、しゃべらないといったけれど、検査のとき、特別な場所に連れて行かれるとき(このとき原因不明の病気だったためいろいろな検査をさせられた)、看護婦さんと仲良く話せた、気まずいときもあれば、仲良く話せたときもあった。 このとき1人か2人仲良い看護婦がいた気がする。

 

車椅子に乗せられ、点滴を車椅子の横につけ、目的地に押される。 病院はとてもふるく、不気味な雰囲気をかもし出している。

 

ゾンビのような患者達をくぐりぬけて、段差があるたびにガタンガタンと車がゆれる。 年上の女性に車椅子を押してもらい、僕はなす術もなく検査へつれていかれるのは、なにか安心感があって、気分がよかった。 

 

このころから年上の女性に憧れるようになったのかもしれない。

 

女子中高生、大学生など、子供の男性からみるこのイメージはなにかミステリアスなものがある。

そしてそのイメージがあるまま、いつの間にか彼らより大人になり、いったいどこにその人達がいたのか忘れてしまうのだ。

 

女性の美とはそういうものなのかもしれない。 手に届きそうだけど永遠に届かない。

 

同年代になったところで彼らを知ったとしても、コミュニケーションをとれたとしても、子供のころに描いたそれとは違う。

 

彼らよりも大人になったときも同じなのだ。昔描いていた印象はそこにはない。

 

僕は未だに彼らの車椅子に乗って、ずっと前に押され続けているのだろうか?

 

声は聞こえるけど、けっして後ろを振り向いてはいけない。