水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

本当の現実とは何か? ジャニー喜多川 2

 まだ仮想現実にしがみつきたい人たち 

Artwork by Satoshi Dáte

ジャニーズ事務所について、まだ話したいことがあります。

殆どの少年たち、ジャニーズ所属のアイドルたち(一般人も)は洗脳されているために、

 

 

「お世話になった」 

「彼は才能があった」 

「功績を残せた」

「やさしい人だった」

 

と言っています。

 

すばらしい功績とは何か?

いったいどんな功績をだしたのか僕にはわからない。

 

TVにでて、コンサートをして、多くのファンに支えられて、素敵な女性とお付き合いできて、結婚して、家族ができて。

 

僕はこれをすべて仮想現実の中であると感じる。

 

(かれらの人生やすべてを否定するわけではない。これも私たちが成長する過程であると思う。)

 

すべてのこの「功績」は ジャニー喜多川に虐待されていて、しかも彼の手の中にある状態での功績になる。

 

テレビを消してしまえば、彼らに興味のない人にとっては、なんの意味もなさない。 もちろんそれは当然なことだけれど、今回のことでより、TVの中で起きることに人は踊らされているように感じる。

 

Fashionの世界もおなじで、逆に言えばこういった感じの男性は認められるべき、かっこいい、かわいい、というイメージを作ってしまった。 そしてそれはすべてジャニー喜多川の趣味の世界であり、そしてその人たちが虐待を受け、苦しんでいる中で、何も言えないジレンマにある。

 

その男性たちをエンターテイメントの世界で、日本人や世界の人が目指すべき男性像として成り立ってしまう。

 

このおかしな現象が理解できるだろうか。

 

そして、テレビ局もファンも普通に生活している人もこのおかしな現実世界を理解しようとしていない。

 

すばらしい体験ができた、すばらしい曲ができた、みんなが感動した。とは単なる結果論であり、上記に述べた仮想現実のかで繰り広げられただけである。

 

それはだれであってもそういうことは起きた。

 

ぼくたちはただ夢を見ていただけ。

 

芸能界とはそういうものである

 

 

イギリスに来て日本でいま活躍する有名人や美しい女性、男性について

日本人が僕に語り掛けるときがある。

 

僕はなにも感じない。

 

それは夢からさめているからである

 

僕の人生になにも関係しないからだ。

 

僕が中学高校のときは、テレビに出てる有名人にあこがれ、あったら感動していたと思う。

 

全てを否定するつもりはない。それを事実であると認めて、みんなが理解することではじめてそれが現実になる。

 

そして彼らも僕らもこの現象を理解して受け入れることで私たちの「旅」の軌跡となる。

 

この現実を受け入れることでまた新しい旅を始めることができる。

 

ジャニー喜多川もジミー・サビルも枕営業をする人も、夜のヒットスタジオも、わけのわからん恋愛ドラマもすべてがひとつとなってエンターテイメントの世界である。

 

TVでもYoutubeでもTiktokでも

こんなに多くの人に認められているという、「神」を作り出す。

そしてそれにあこがれる「一般人」を作る

 

本当は同じ人間同士なのに、この隔たりがある現象を作る。

 

そしてそこにお金が関わり、「成功」するためのシステムを作る、エンターテイメントが「汚い」世界であり続けるのは、そういった仮想現実を作るからである。だからこういった「憧れ」や架空の「成功」を作り続ける限り、永遠にこのおかしなシステムはかわらない。

 

「必ず」力やお金を使って少年少女、弱い立場の人たちを利用する現象はなくならないだろう。

 

面白いことにイギリスのドラマで出てくる俳優さんたちは「いたって普通」の人たちである。 演劇の俳優たちとかわらない。

 

それはとても特に日本人には「Boring」 つまらないことなのだ。

 

なぜなら日常と変わらないわけだから。

 

日常のリアリティーから脱却するためにTVは備えられている。

 

アートフィルムや芸術的な映像、ドラマ、ドキュメンタリーは違う。

 

それは「Absolute reality」 「真の現実」を創り上げようとしているからだ。

 

だから心に響く。

 

箱の中からでているものだ。

 

最近の表現者からは

 

「生きる力」を感じない。

 

生きることとは真実の中で生きることだ。 仮想現実の中で生きていても、私たちそれぞれの本当の幸せをつかむことはできない。