水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

日本人が作るジャニーズ 偶像崇拝 - 英国在住日本人の感想

日本人が精神革命する日がやってきた 

イギリスや世界で話題になっているBBCでジャニー喜多川のドキュメンタリー
Predator:The Secret Scandal』(プレデター:Jポップの秘密のスキャンダル)
を観ました。

内容抜粋の動画

 

ジャニー喜多川と事務所のタレントの関係やメディアの世界で力のある人から女性への性的暴力があるという話は噂では聞いていた。

 

今回のBBCの番組でどのようなことが起きていたかはっきりした。

 

これは日本の大きなスキャンダルであると思う。 BBCでもジミー・サビルという明らかにおかしい(目が狂気に満たされている)TVプレゼンターがBBCのスタジオ内などで自分の権力により性的虐待を続けていたという話。

 

ジミーが死んでから、いろいろと明るみに出た。

 

最近公開された(僕の友人Angelaも出演してるので是非見てほしい)She saidもMe tooムーブメントのきっかけになったHarvey Weinsteinのメディア関係者への虐待の話が演出されている。

 

暗黙の了解。みんな知っているけど権力があるためになにもいえない。これはどこの世界でもあったようだ。

 

けれど今回は日本人、日本社会が真実をあばこうとせずに他国のメディアに問題視されている。まことに情けない話だ。

 

まるで日本はこどもで、親である欧米諸国から「またなのか?」と叱られている気にもなる。

 

  • メディアの世界ではなぜこんなことが起きるか

 

それはわたしたちが、「美しい」と思うものを求めているところに原因がある。

そしてそこに「お金」が関係している。

 

部分だけ見ると、これは、権力によるものだとか、おかしな変人の趣味だとか、そういった言葉で片づけられてしまう。それだけで話は終わらない。

 

社会全体がつくる、資本主義と、集合的意識でつくりあげる「ニセの美」を追い求めることに問題がある。

 

本来は「これが美しい」 「これが価値がある」といえないものだけれど、僕らが崇拝するお金や権力、非現実的なものを絡ませてみんなで共通して共有できる「神の像」を創り上げる。

 

僕も若いころはジャニーズにはなんの興味はなかったけれど、かわいいアイドルを崇拝してその美しさに魅了されて、写真から絵を描いていたりした。

 

僕がファッションをはじめたのも、非現実的な、自分の世界に存在しないような美しいものにあこがれたからだ。

 

非現実的というと不思議に思うかもしれないけれど実際そうである。

 

たとえばスーパーモデルがあなたのとなりに現れたら?

有名人や、かっこいい・かわいいと思っていたアイドルと食事ができたら?

 

「私はなんてラッキーなんだろう!こんなの夢見たいだ!」

と思うだろう。

 

日本のテレビ番組であるハリウッド俳優のことが大好きなタレントを使って、偽の俳優と一夜を過ごす企画があった。

 

彼女は完全に同じ人物と勘違いして、完全に恋に落ちていた。

 

この番組でもわかるように私たちは「掌握できな神の像」をつくっているだけだ。

 

現実世界ではあらわれない、「ありえないくらい美しい人、高貴な人」だからテレビやYoutubeや映画に噛り付いてその人たちを崇拝する。

 

僕らはみんな同じ人間だし、彼らとあなたとは何の違いもないはずなのだ。

 

  • ジャニー喜多川はセンスはあったのか?

 

センスがあったから何をしてもいいわけないことは当然のことですが、初期のころは時代にあった皆に気に入られる顔、人材を察知できたのかもしれない。もしかしたらアイデアも優れていたかもしれない(60年代にすでにジャクソンファイブがアメリカではデビューしていたのでそれをまねただけとも言える)。それも年をとっても衰えずあったのかもしれない。でも結局は力を持った後はメディアをコントロールしていたし、彼の趣味の男性を選べばどんなひとでもうまくいくはずである。世間がどうとかよりも、すでに日本全体がジャニー喜多川の趣味になっているからだ。

 

またデビューなかった多くの人の中で演技、ダンス、歌に関して技術が伸びる人がたくさんいたはずだ、彼と夜を共にしない限り売れることがないという証言もある。というよりそうでなければ、そんなシステムは成立しない。彼のいいなりにならないで成功できるならみんなしない。 という事は彼の言いなりになった人間だけ成功していったともいえるのではないだろうか?

 

彼はこういった闇のシステムを作ったという意味で才能はあったのかもしれない。

僕からしてみれば、ルックス以外(しつこいですが一般的に美しいと思われそうな人という意味で)に、歌、踊り、演技が素晴らしいと思う人はほとんどいないように感じられる。

 

 

  • ジャニー喜多川はジャニーズjrたちへ愛情があったのか

 

「それでもわたしは、ジャニーさんによくしてくれたし、愛しています」という被害者がいる。番組でもセラピストが語っているように、これはただ洗脳であって、多くの人が被害にあっている時点で愛があったとは到底思えない。 これはホモセクシャルだとかそういうはなしではなくて、かなり異常な出来事である。

 

そもそも10代の若い男性となぜ彼と一緒に過ごさなくてはいけないのか? なぜ大人が一人で管理する場所に子供たち大勢が一緒に住んでいるのか?

 

イギリスでは犯罪履歴書、証明書を提出しない限り、その時点でアウトである。

 

「ジャニー喜多川にはお世話になったので、成功したので」

とあるが、そんなことは関係ない。 とんでもないトラウマを与えていて、世話になったあったなんてことはどうでもよいはずだ。 もちろん彼の存在すべてを否定することはできないけれど、お世話になったから彼の罪が免除される、訴えることができないのはおかしい。 それに彼からの異常な愛が「愛情があるように」感じさせているだけで、虐待をして、力を利用して洗脳していてるけど、愛を与えていたら良いのなら、犯罪者はこの世にいない。

 

  • 権力・地位のある人はなんでもできる

 

もう時代が変わった。そして日本は独裁国家でもないのに、独裁者のようなことをしている人がまだ沢山いる。

 

権力があるゆえに周知の事実であるのに関わらず、だれも話すことはゆるされず、警察も政府も何もしない。

 

日本社会を変えたい思いでいっぱいだが、大きな問題が日本にはある。

 

一番の問題は

 

「問題があるのに何もしない」

 

日本人ばかりだからだ。

 

ほとんどがまわりに踊らされて人生を作り。人生を終える。

 

愛も正義も幸せもわからず、息絶えていくのだ。

 

俺たちはそうしてきたんだ、我慢してやれと。幸せなんてない、夢をみるな、火山の火口の前で列をなしてみんな並んでいる。

 

 

  • 罪は誰にあるか?

もちろんジャニー喜多川本人だけれども、取り巻きのひとたち、知っているのに何もしなかった関係者たち。 

しかし直接的な罪ではないけれど、サポートしている人全員である。

そんなことは知らなかった。知らない人は罪ではないが、これが美しい、かっこいい、という虚構の現実形成を手助けしたことは確かである。

 

テレビというものもなくなってきたけれども、いまだに僕らはこの「神の像」を作るのに必死である。

 

誰かが手の届かない「何か」にすることで自分を価値のない人間として、自分の幸せや真実を追求するのを放棄できるからだ。

 

タレントも、ハリウッド俳優も、アイドルもいない

 

そんな世界はつまらないとおもうかもしれない。でも現実はそうなのだ。

 

これからは他人を追い求めるのではなく、自分にフォーカスする時代がやってきている。

 

誰かに認めるために異常なまでに着飾る必要もない。

 

  • 人気のあるジャニーズjrたちはどうなるのか?

 

有名になったjrは事実を知っているのであれば話をすることができると思う。 彼らの人生が壊れていくかもしれない。 だから社会全体がそういった虐待を受けた人で告白するできる世の中を作る必要があるし、受け入れる心を持つ必要がある。ファンの中ではそれを嫌がる人もいるかもしれない。信じたくない人がいるかもしれない。

 

でもそれが真実である。

 

そしてそれをみないふりをして、応援していくところに大きな日本の心の溝。心の病がある。

 

純粋である男の子たちが、もっとも日本で美しいとされる人たちが、いってしまえばジャニー喜多川という登竜門によって純粋でなくなり(僕はそうとは思わないし汚されているとも思わないけれど、今の一般常識ではそう認識する人は多いだろう)純粋であると思っているファンが彼らを応援するのとても皮肉だ。

 

これは日本全体の問題。ジャニー喜多川を野放しに何十年もして、ドラマ、映画、広告、バラエティー番組などで僕らも同じ参加者としてサポートしていたわけだから。

 

これを認めるとなると、こういった闇を含めてのエンターテイメントになってしまう。それが本質なのかもしれない、非現実的な世界を作ることはそういう事があるから視聴者は喜ぶのかもしれない。 それが普通の人で普通の生活だったら、なにも面白くないのかもしれない。

 

犠牲者の多くの人が初めての体験、キスをしている。 それが特に性的に好意を持っていない人間に、キャリアのために、そしてまわりのために強いられる恐怖のなかで行為に至っている。

 

彼らが抱えているとてつもない苦しみを理解しないといけない。

 

大人になっても、そのことについて公に喋れないということはとてつもないトラウマである。

画面をみてるぼくらもそれを知りたくないのだ。

 

身近の人にも知られたくないトラウマを抱えつづける人たちを僕らが彼らを受け入れず、見続け応援するのは恐ろしく奇怪な状況である。

 

今回の明るみになったことは真剣に日本人全員が受け止め考えなくてはいけない。

 

 

ジミー・サビル、ウェインハウス、喜多川とこの人たちはたまたまいたのではなく、そして権力を悪用していただけではない。

こういった人間を排除したら逆に言えばいまのエンターテイメントビジネスはないかもしれない。

 

僕らが求める、偶像崇拝を続ける限り、こういった異常な人たちは後を絶たないだろう。なぜなら私たちがそういった、狂った世界を作っているのだから。

 

 

イギリスのドラマではいわゆる「一般的に」美しい人たちはでていこない。 アート映画には「美しい」人を起用しない。

 

日本人から見たらつまらない。と思うだろう。

 

だがそれこそ真実を訴える作品であり、観る価値のあるものなのだ。

 

僕らは外見的に美しいものばかり、注目している。

 

本当の美はそんなところにはない。

 

わたしたちは資本主義が作り出した「商品」ではない。

 

実際のところ人生や生活はとても単純で平凡なものなのだ。

でもその平凡の世界を作ることで

 

虚構のエンターテイメントの世界に自分を没頭させるよりもドキドキするような楽しい世界が生まれてくるのだ。

 

ハリウッド映画やドラマやバラエティー番組なんて見る必要は一切ないのだ。僕自身も経験したように

本当にそんな映画たちよりももっともっと興奮する人生が私たちは飛び込むことができる。

 

 

 

 

今こそ、私たちは何を求めて生きるべきか考えなくてはいけないと思う。

 

 

日本でドキュメンタリーを観る方法:

 

参考