ここに私がいる。
テニスコートからゆっくりと空へ飛んでいく。
ここである人の事を話す。
彼は自営業で苦労はしたと思えるが、時間を自由に過ごしてきたかと思う。
そして今は
田舎で暮らし、テニスを週2回もして、楽しんでいる
その方とわたしはテニスをした。
代わってもう一人の「彼」は
サラリーマンを続け、体はテニスの彼ほど動かない。
サラリーマンの疲れもあるのだろうか?
一概には言えないが、自営業でいたほうが、人生の生き方も考えるし、精神的余裕もできると思う。
これから変わりつつある世の中であるけれど。踏み外さない様にしっかりと世の中を変化させなくてはいけない。
僕たちは製品ではない。働く道具でなく、自信の使命をもって働く人でないといけない。
果たしてあなたはそうであろうか?
使命を持って生きれば、心の余裕もできて、年を取ってもその使命を追い求め生き続ける。
今の人が持った「夢」は彼ら自身の中身の芯から来たものでなく、私たちの恐怖から創られた幻想である。
その夢は非常にネガティブで、達成しないと恐怖を与える。
僕が言っている
「使命の夢」
とは、なにも必死になって、切羽詰まって、息苦しい夢じゃない。
毎日が楽しく楽しくてたまらない夢だ。
でも毎日がいつもそうではない、苦しいことも悲しいこともショックもある。
ただその苦しみは「健康的」な苦しみなのだ。
自分自身が作りだした苦しみと
他人が抑圧する苦しみとどちらが苦しいだろうか?
僕はイギリス留学やボストンの訪問でその苦しみを味わった。生きる気力もなくなるほど、苦しみはあったけど。なんというか、ネガティブなものではなかった。だれかに殴りつけられたような痛みではなく、
母なる大地に試練を与えられている様なそんな苦しみである。
どうしようもなく
繋がってる苦しみだ。
気持ちいい苦しみ。
それが僕らに必要ではないだろうか?