水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

まるで宇宙空間に取り残された感覚。自分軸の正し方

失望感はどこからくるのか?

 

Artwork by Satoshi Dáte

海の真ん中で一人でいる気持ちなんてもんじゃない。

宇宙空間に裸でなすすべもなく、ただただ死を待っているようなそんな不安と絶望感だ。

 

体が熱くなって、 胸が苦しくなって、頭に熱が登ってぼーっとして、失望感と、絶望感と、一緒になる。 夜はいつも大丈夫。僕は夜苦しくなることはほぼない。 朝起きた時や、夜中に起きた時に、苦しくなる。

 何もやる気がなくなって、今までしたことが無駄なように感じて、 これから何をしたらいいかわからない。

 

 イギリスに帰るたびに 僕は苦しくなる。

 

そうでない時もあったけれど、2,3回くらいだ。たぶんその時は半年に1度帰っていて、頻度が多かった。そのとき支えられる愛する人も近くにいたので安心感があった。

 

 それはなぜなのか、 スピリチュアルな友達が言うには、魂がまだ日本にあるから、 それが戻るまで時間かかるという。

 

そう何というか 魂が空っぽのような感じがする、

 魂が空っぽだからなんとか 何かで埋めようとする。

 

 日本に行く時は。 多くの人が待っている、 どこに行っても誰かが待って受け入れてくれる。 もちろんイギリスでも僕を待ってくれてる人はいる。それが問題ではないのかもしれない。

 

 このイギリスの雰囲気から空虚感を感じるのか、 何なのかわからない。

 

自分の国でないからだろうか。 

 

でも自分の国 って一体何だろう。

 

 僕はよく日本人とは言わない。

 

ただ日本で育った人というだけ、

だけど イギリス人だということも言わない。

 

 最近は日本に本帰国しても構わないな という気持ちもある。

 

まだイギリスでやるべきことが 沢山あるし、 ヨーロッパにいることが チャレンジングなので 僕はここにまだいたい。

 

 僕の家族がいたらどうか、 配偶者がいて子供がいたら。僕は嬉しいのだろうか。

 

 それを考えるとみんな寂しさや 空気を埋めようとして、配偶者や友達や子供や何かもので埋め尽くすのだなと思う 。

 

僕はそういったごまかしはしたくない。本当に愛する人、本当に必要なものがそばにあればいい。

 

そうか、だから本当に必要なものだけ周りにおいたらいいのだ。

そうすればまた愛するべくものだけがやってくると思う。

 

「あなたがみる全てのものは美しくなくてはいけない」

とはらぺこあおむしの作家は言っていた。

 

それは普段の生活(自分の部屋)でみるものをすべて美しくすれば充足感に満ち溢れることができるということだろう。

 

この空虚感はよく子供の時に感じた、 昼だったか、夜だったか覚えていないけど、起きた時に母親も家族も寝てて、全てがぼんやりとしていて、体が熱くて、黄色い膜のようなものが 空気の中にあって、 とてつもない 絶望感を感じた、このまま生きてて一体何になるのだろうか?

 

 病院に入院した時は小学校2年生から3年生の間、 そこで 1ヶ月半か 2ヶ月ほど入院していたけれど、 その病院から出た時の失望感と言ったらない。現実に戻されるというのが恐くてしょうがなかった。

 

そう イギリスは僕にとって現実。 日本では僕は訪問者で出張、観光にいく場所のようなものだ。

 

そして現実とは一体何なのか?

 

カフカの「変身」を思い出す。

 

いっそ虫になって生きたほうが幸福なのではないか?

 

僕はこの空虚感というものが、いったいなんのか知りたい。

 

どういった意味を持つのだろう?

 

とっても重要なことにおもえる。

幸福感を感じたいために僕は生きている。

ではそれがない絶望感とはいったいなんなのか。

それがフラットで、0の状態なのだろうか?そこから充足感をつけたしていくのか?

 

それとも絶望を感じている時はマイナスの状態なのだろうか?

 

この感覚は何が失った時や失恋した時と似ている。

 

自分の体の一部 魂の一部が消え去ったような感じがして埋め方がわからないのだ。

 

 ずっと前にはそれを埋めようとあらゆる欲望で埋め尽くそうとしたが。 意味がないことを知っている。

 

 今何か 頭を整理しなきゃいけないと考えている。ミニマリストになる必要はないかもしれないけれど 僕たちは 色々なものに周りに囲まれていて 無駄なものがたくさん 多い。 そういうものによって 押しつぶされて 何を考えたらいいのかわからなくなる。

 

物だけじゃなくて、自分の仕事やプロジェクトもこれは含む。

 

 それもまた新たな 言い訳として、自分にとっての真実というものから逃れてるのかと思う。 だから 殻を破るにはそういった 無駄なことを消していかないといけないのかもしれない。

 

 みんな こんな風に絶望を感じるのだろうか 僕は不思議でしょうがない。

環境が変わるといつもそうだ。

 

そう、環境が変わると! ボストンにいったとき、エジンバラに行ったとき。

 

 日本では 夜中よく叫んでいたようだ(夜叫症という)。 誰かがいじわるする嫌な夢を見て、僕はそれに怒り、叫ぶ。 イギリスではそれを確認する人が周りにいないので、夜な夜な叫んでるのかどうかわからない。 日本だと過去に戻される感覚があり、叫ぶのだろうか?

 

 いよいよ ユングセラピーを 本気で行かないといけないなと感じている。

日本でもやっとセラピーのことを話すようになって僕は嬉しい。 1人で解決できないなら プロフェッショナルに 助けてもらうしかない。

 

 それが 町医者で行くような感じで、みんなが気楽に通い、国からのサポートがもっとあればいいと思う。

 

こういった苦しみを感じるからこそ、僕は人をサポートできるのだとも自覚した。

 

1年に一度くらいこういう時期がある。 逆に言えばそうであることがまた自然なようにも感じる。 

 

1年に一度風邪をひくのなら、精神の風邪だってひくであろう。

 

温かい白湯をのんで、温かいお風呂につかって、ときに体を動かし、ストレッチを毎朝晩して、健康な食べ物を食べ、部屋を整理して、毎日のルーティーンをこなせば

 

自分の軸は戻ってくる。

 

 

 

*ふとおもったけれど、この絶望感はもしかしたら、ビッグバン(が起きてたと仮定して)以前、僕らがやってきた世界の感覚、もしくはそこに戻らされそうな恐怖。なのかもしれない。

 

死んだらどうなるか、この世界から消滅したらどうなるのか? それはもしかしたら別世界、ある意味でもともといたビッグバン以前にいた世界に引き戻される恐怖なのかもしれない。

 

この「現実」の世界にいきれなくなった、もしくは生きる意味が必要でなくなると、その元いた場所に引きずり込まれる。

 

自殺したい人は、ここから出たいというよりも、「あそこへ戻りたい」という願いなのかもしれない。

 

この空虚感はまさに、現世界のものでなく、ネガティブに引っ張られるなにかなのかもしれない。

 

だから幸福を感じたいがために僕らは爆発したのかもしれない。