サイコセラピー日記
父は「イギリスに行く前に怪我をしてよかった、これが外国だったら大変だ」 と慰めのように言ってくれた。
顔に傷ができ、前歯が思いっきり折れた。 一瞬何が起きたかわからず。ただ顔が麻痺していて、雨はそんなことお構いなしに振り続けた。 痛みなんてどうでもよかった。
はっきり言って再現できない。 その恐怖はなにのも置き換えられない。
祖母は 「あなたが春恵と一緒になっていたら、春江は死なないですんだ」 と確信をもって言っていた。
よくなにも予告もなしに、うちに従妹を連れてくることがあった。その頃の従妹と僕はあまり仲が良かったとは思えなかった。近くに入るけれど、しずかで、むすっとしてる感じがした。けれど将来仲が良くなることを知っていたかのようにいつも遊んでいた。けれ…
「自殺をしたいというところまで行ったことはないが、自分の精神がおかしくなるのではないか?ここを超えたらそういう考えになるのであろう、という境界線をみたことは何度もあった」と伝えた。
箱の外に出たい、という自分はみんなと違うんだという欲求からきている可能性があると思った。
「典型的な答えかもしれないけど、そういう女性と付き合う事で母親を癒せると思ったのではないか?」
このセラピーが自分にあっている。哲学と関係していることが面白い。 信用のできるセラピストだ 社会の箱の外に出るということは何なのか? 無意識の間は「怒り」や「不安」がある。 それを意識の中では抑制している。コントロールできている。昔はできなか…
「セラピーは高額です、民間の医療機関は怪我をしたら無料でみてくれるけれど、心に傷ができても無料で診てくれない。おかしくないですか?」
1年以上はすごく重症なケースのみ続けられるということらしい。 そこで僕が憶測して、「できるだけ多くの人に受けられるようにしているのではないですか?」と言ったら、彼は同意してくれた。
僕は彼と話している間だんだんと落ち着き、緊張がほぐれていった。
最近は本当にわざとじゃなくて、自分は「日本人」だといわなくなった。 「日本で育った」とは言う。
年齢だとか、性別、セクシャリティー、どこ出身、何の仕事かとか枠組みは沢山ある。 そんなことどうでもいいとぼくは思っている。 人と語る中で相手がなんなのか
「悩み」がある時点それをどう受け入れるか、はたして変える事ができるか すべてをひっくるめて 自分を理解するために行くのです。
じゃあなにしにいくの?って思うかもですが。 彼らは「あなたの人生をよーく学んでから導いてくれるのです」 そして、「なるほど、ではどうしたらよいと思いますか?」 と自ら「あなたが」答えを出すのです。
そう。薬を使わないのである。 日本ではずいぶん長い間、いまでもそうだけど。精神の病または軽い精神的苦痛による症状がある場合、精神科に行く。 そして薬を飲む。