水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

 ブッダの悟りを導いたヴィパッサーナ瞑想 体験談 7/7

10日間コミュニケーション断絶瞑想修行の感想2/2

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瞑想は皆ができて、毎日することで世の中が平和になる。と僕は思う。

瞑想は自分を見つめる最高の方法

自分が「今」にいれる。そして「全て」を感じる事ができる。

 

下記は瞑想を終えたときの感想。これは

 

僕の間違った見解だった

 

たぶん瞑想施設の雰囲気、僕の期待などが重なってなにかしらネガティブなものを感じたのだろう。そして僕は瞑想をしたあとの効果をあまり実感していなかった。

今振り返ってみたこの感想をどう思うかも括弧で書きました。

 

瞑想を終えた直後の感想

瞑想はある意味で、精神患者への薬のような気がした

 

(とりあえず今の段階では、こういう見解をもつ。ゴエンカ氏が話したことから考えた上で。もちろんヴィッパサーナ瞑想がある人には健康に役に立つとも信じている)。

 

毎日2時間も瞑想をしなくては怒りがおさまらないとなると問題である。まるで臭いも のに蓋だと思った。

 

(2時間は長いと思うがサピエンス全史』が著者ユヴァル・ノア・ハラリも毎日2時間瞑想してるらしい、くさいものに蓋ではないと思う。すぐに怒ったり、イライラする人は心の中に問題があるわけだから、瞑想なり、サイコセラピーを受けるなりしたらかわるということ。値段が高いセラピーをうけないで、毎日2時間で自分が落ち着いて、幸せになれるなら、それは素晴らしいことだと思う)


 そして、直感でなんとなくゴエンカ氏を信用できなかった。彼はとてもいい人間だ。けれど100%信じられるような人間ではなかった。

 

これは今でもそう思う。なんか信用できない

 僕は仏教徒だ。日本人は自然と神道/仏教徒となる。 文化自体にこの二つの考えが深く浸透しているからだ。けれどブッダや神に特別な信仰をしているわけではない。彼らの考えや哲学を尊重するだけだ。ブッダのアイデアや哲学は好きだ。

 

他に気になることと言えば、ゴエンカ氏は途中でコースをやめる人を悪くっていること。メッタ瞑想を行うといって、素晴らしい瞑想方法ときいてメッタ瞑想に参加した。

 

そこでは、ただゴエンカ氏がこれをしよう、するべき、など歌を歌っているだけだった。日本ではお経がある。それもお坊さんが唱えるわけだが、もっと静かで落ち着くものだ。

 

小さいころ正座をして長い間聞かなくてはいけないのは苦痛であったが、今回の歌はとてもリラックスできるものとは言えなかった。修行するのに妨げるようなリズムが含まれている気がした。あとはゴエンカ氏が語るビデオに対してお辞儀をする生徒がいた。

そしてそこにいた雰囲気、生徒やスタッフから悪いものを感じた。

(これは気のせいもあるかもだけど、たしかになんかすごーいネガティブな人もいた)

 

もちろん何か迷いや悩みがあってここに来た人が多いだろう。けれど彼らの目を見ると うつろで、なにかに捕らわれたように見えた。その中にも、今回の経験は人生を変えた、宗教的なところはどうでもいいと。

 

人によってはあまり深刻に考えてい なかった。すこし、最後になってなにか嫌なものを感じたというのが感想だ。奇妙な環境、つまりゴエンカ氏が不思議なリズムでビデオの中で語り、情熱がうか がえない先生が身動きせず僕らをみつめ、感情がなさそうな生徒が周りにいた、ということ。

僕は不安や恐怖を取り除きたかった。たぶんそれは多くを望んでいたのかもしれない。


瞑想によって解決法は見いだせなかった。

(これは10日間やっただけで、よくわかっていなかったせいも大いにある、前に述べたようにもちろん実戦も必要。このあといろいろな試練を経験してさらに成長した。そのあとに瞑想をしたら、効果はこのときよりも絶大だった)

 

先生かゴエンカ氏がなにか偉大な言葉を告げてくれると予想していた。クリエイターである自分が恐怖をつねに 背負う事に対して、問題だと思う必要はないかもしれない。聖人でも持っているものだろう。

 

人間が人間でなくなることの恐怖、自分が目的に達しないまま死んでしまうかもしれない恐怖、説明のできない虚無がやってくる恐怖。けれどこの恐怖がポジティブなエネルギーとなり創作に役立つと信じている。

 

(どうだろうか?恐怖はもちろん誰しもが持つ、自然に生きていたら天敵がおそってくる、津波が来る、飢えが来る、そうしたなかでどうやってそれを受け入れ、どのように対応するかが問題。 アーティストだから、常に恐怖や不安を感じなくてはいけないとは思わない、むしろそういうものを超越したところに美しいものがあるとおもう、

 

ゴッホもムンクも絵を描くときはそういったものを超越した天国のなかで描いていると僕は感じる)

 


 10日間だれともコミュニケーションをとらないというのは毎日会社に通い、同じことを繰り返し、現実的な言葉を交わしている人には非日常的な経験だと思う。

 

ただ僕にはとくに非日常とは感じなかった。他の生徒たちを心配に思ったが、得にみんな真剣に感じてはいなかった。良い部分だけ取り入れているようだった。その程度が丁度いいのかもしれない

 

感情をほんとうに抑えられないひとたちには、自分自身をみつめるいい機会ではあると思った。

上の文章を読んだ限り、僕は気に入らなかったかと思うかもしれないが、実際にはいろいろと学べた。

 

集中力がついた

 

人生のフォーカスが明確になった

 

時間の大切さを感じた

 

感覚を細部にわたって感じることができるようになった

 

けれどこれが人生の解決になったわけではなかった。この瞑想でも盲目的 な信仰や、一時的な薬にもなり得ると思った。

 

こういった瞑想やカウンセリングなどのツールも

 

自分が何をしているかわかっていればとても役に立つ。

うわべだけのテクニックや考えを理解するだけでは意味がない

 

なにごとも真剣に取り組み

実際にその世界を理解し経験しないと

 

自分の体にはしみ込まないと思う。

 

終わり