水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

収入があれば現実的

お金について

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Photography: Satoshi Dáte/ Model: Yoko Onodera

お金の事を考える、たとえば、給料がいくらとか蓄えがいくらとか。それをしっかり考えることが現実的。らしい。だから給料が多ければ多いほど、その人が「現実」をみえていようがいまいが、現実的には正しいことにもなる気がする。

もちろんその人が、浪費家でなにも先の事を考えていなかったら、非現実的かもしれない。でも現実的な人たちにはとりあえず給料が多ければ、この現実については考える必要はなくなる感じを受ける。

 

僕はこの彼らの言ってる「現実的」をこれから「現実的」とイタリックで書かせてもらう。

だからこの「現実的」というのものはなにか胡散臭く、詭弁な感じがしてしょうがない。

「現実的」という言葉は収入が多ければ、その問題となってる現実的かどうかがふっとんでしまう。

 

蓄えがあってもそうだ。ある「非現実的」(これは彼らの言う非現実的をイタリックで表現させてもらう)な男性が蓄えがなかったとする。皆に、お前は好きなことばかりしてて、「非現実的」だ。もっと蓄えを増やして将来のことを考えないと、とんでもないことになるぞ。と言う。とんでもないことになるかどうかは彼次第だし、僕に言わせれば大きなお世話である。 

 

だけど、彼らの言うことを百歩ゆずって、この男性が「非現実的」だとしよう。男性が宝くじで当たってお金持ちになったとする。そして、きっと周りの人間は、お前は「非現実的」だと攻撃することをストップするだろう。

 

これはいったいどういうことなのか?

 

蓄えを持っていても何も意味ないと僕はここで言いたいのではない。僕にも蓄えはある。

 

だけどそれは不安からつくられた蓄えではない。人生を楽しんで、幸せでいて、お金の不安がなくなって自然と作り上げられた蓄えだ。

 

彼らの言うお金や蓄えとは「不安」から作り出された、Fragile(もろい)殻のようなものなのだ。

 

やどかりな彼らはもろいから殻、ゆっくりと歩き、人と会ったら、ほんの少し顔を出して挨拶をする、自分を見られるのも、自分を見ることをも否定して、ちょっと手をだして握手をする。

 

恋愛も同じだ、自分のほんの少しの体だけ出して、フルに愛を表現しない。殻があるのにどうやって全てを無条件でささげる恋愛ができようか?

 

いま数々の子供への虐待や家庭の崩壊が報告されるのはこういったところに原因がある。

 

不安を抱えながら一生を終えるくらいなら僕はこの世を去りたい。