私好きな人がいるから!と言われる。
イギリス留学の下見の時点でも、僕はコミュニケーションが下手だった。
特に女性に対して。
人生いろいろ経験することが良いことだと思うけど、考えてみれば僕は
いろいろな「人」になっていた。
犯罪者になる経験はどうかとおもうが、
美術学院にいたときは、ストーカーまがいな事をした。
ストーカー経験ありである。
ストーカーに追われたこともあれば、自分がなったこともあるのだ。
コミュニケーションがへただと、すぐ恋に落ちたり、勘違いしたり多いと思う。
恋するという事は、1%の可能性を考えるから。だと思う。
意思疎通ができていないのに、勝手に思いあがっているのだ。
0%やー15%なら恋すらしない。
と僕は思う。
日本で学生の時。
学院帰りに、仲良くなった女性がいた。 初めての同世代の女性友達(というかたまたま帰りに会って話しかけただけである、向うはむしろ嫌がっていたかもしれない) だった。
何を勘違いしたか、彼女の帰りを待って「一緒に帰る人」になっていたのだ。
彼女は恐怖を感じ、「私好きな人いるから!」と言って、ささっと、サッカーのフィールド上でぼーっとしてる相手を走りぬく様に、かわされる、足早に僕から遠ざかっていくのであった。
「好きです!」
ともなんとも僕が言ったわけではないのだが、好かれていると思われていた。
考えてみれば、そんなに深い友達になっていないのに、待ち伏せしていたら恐いものだ。
人は相手が何を感じているかわかるときにコミュニケーションが成り立つと思う。
コミュニケーションが下手な人は、自分の勘違いが膨らんだ人なのかと思う。
目の前の人がどんな対応をしても、
動じない。
...ができるひとが
コミュニケーションのマスターではなかろうか。
というのは相手がこうくるだろうと予想できていない、
つまり自分が勝手に妄想を膨らませて、こうくるだろうと思っているから
びっくりしたり狼狽するのだ。
相手に事をよくわかっている、相手がこう感じるだろうと勘違いしてるからだ。
僕が女性を学校の帰りに待っていて、
彼女が笑顔で
「待ってくれたんだね。一緒に帰ろう」
というと勘違いをしていたのかもしれない。
それがまさか無視されるとは思ってもいなかったのだと思う。
相手が笑わせるような変な顔をしても。動じずに真顔でいるような。
周りがうるさくても
パーティーで独りぼっちになっていても。
動じない人が
もしかしたら上級者なのかもしれない。