ホラー裸作品はつくりやすい。裸も見慣れた
Peeping tom:Triptych
演劇を見に行く
コラボをしようと考えている、ダンサー(といわれるのは好きでないというので踊り踊りといおうか、ぼくも型にはめられるのが嫌なので、非常にわかる。表現者でもいいと思う)琴葉さん
がこれは絶対にいかないといけない!って言われたダンスを見に行くようだ。
なんだか興奮しているので、しばらくダンスパフォーマンスも見に行ってないので、僕も行くことにした。 彼女とは同じ日にはいけないが、面白いことにチケットは3-4日上演の最後の最後のチケットだった。
これダイジェスト。ちょっと映像的に怖いので怖いの無理な人はこの映像はみないほうがよいです。でも演劇は映像ではないのでこわくないですよ。
とってもはじっこであったけど、そのシアター(Barbican)は小さいので(大きい会場もある)そんな遠くないだろうとおもい、特に気にせず買う。
インターバルの時に幕が下りなかったのでその時の舞台を撮っておいた。それが記憶を思い出すカギになってたすかった。
東京でも公演があるようなので、興味がる方はぜひ。
ネタバレにもなるかもしれませんが、僕が感じたことをまたぶちまけます。
基本的にこれは「ホラー」です。
それで、すぐ思ったのが、ジャンル問わず「ホラー作品」は作りやすい。ということ。
僕は恐いものや不気味なものはあまり作りたくない。といっても無意識で作ってるかもしれない。ただ意識的には作りたくない。
よく映画も、ゾンビ映画がもっとも簡単に低予算で作れるといわれている。
「カメラを止めるな」もそうだし、「ブレア・ウィッチプロジェクト」も低予算映画である。
必要なのはSpecial Effect、特殊メイクのみで、時代設定は現代でいいから楽である。
で、ほかの理由としてホラーが楽なのは。
聴衆はネガティブなものが大好物である。 とりあえず脅かせばみんな楽しがる。 人の悪口を言うのが簡単なのと似ているとおもう。ハッピーなドラマより、暗くてドロドロドラマのほうが人気が出るし、楽に作れるのだ。
という偏見からはじまってみているので、評価にこの偏見がしみこんでしまうかもしれないことを忠告しておきます。
事細かく話してもしょうがないので、印象に残った部分のみ話します。といっても事細かには覚えていないので、それしか話せない。
映画も舞台もそんなものである。1か月もすれば内容はみんなすべてわすれてしまう。
「だからこそ!!!」
一秒でも印象を与えるなにかを作ることが大事
なのかな。とは思った。
期待をしていたけど、ひどかった。という作品が多かったけれど、これはまあまあであった。
気になったのは音がおおきすぎて、会場でわんわん鳴っていた。
典型的な踊りが多い。<これほんと気になる。
終わった後に「 I have never ever seen like this before! 」 「今までこんな素晴らしい作品見たことないわ!」ということばに、うんざりした。
ブッダを目指す僕でも「うんざりした」「苛立たしい」という表現は使いたい。実際にそう感じたのだから。 だからといって、大声を出してその言葉をいった観客になぐりかかったわけではないので、良しとしてほしい。
なんというか、なぜああいうコメントが彼らの体から発生されるのかとても不思議に思う。
挙句の果てには大した作品でもないのに泣く人だっている。(今回の会場で泣いてる人はみなかったけど)
舞台が面白いと思ったのは(僕は舞台やデザインが作品の重要な役割を果たしていると思う。デザインがひどかったら見る気もしない)舞台の中に3次元の空間が壁二つを使って作り出されていることだ。左斜め奥にいたせいか、その壁にしかけをしている人たちの作業がみえて面白かった。
Daniel Radcliffeがコロナ前に演技したSamuel BeckettのEndgameのようなシュールな舞台だった。3次元の形が明らかに作ってできているけど3次元な空間が僕は好きだ。丁度ゲルハルト・リヒターが2次元の空間に窓を描き、窓の端から放射状に4つの線をひいて作った偽の3次元の世界のようだ。
(残念ながらその作品がネットで見つかりませんでした)
その作品見に行ったんですけどほとんど寝ていたので覚えてない。これをみんなで見ましょう。ダニエルでてないけど。
ちなみにサミュエル・ベケットだかバケットは20世紀最大の前衛演出家とされています。
「ゴドーを待って」は彼の作品ですが、手塚治虫の七色いんこで知り、非常に好きな作品です。
めちゃくちゃな感じだけれど、非常に深い。ゴドーとはゴッドのこと。いわゆる神のこと。その神をもじったゴドーを待つあたまの悪い男性二人がわけのわからない会話を続ける話。つまり神さえやってくればすべてが解決するとおもう人間の話。
この神は暗喩にもなる。いま日本もまた政府や自分より上の機関がなにかをしてくれると勘違いしているがそんなことはないのだ。 わたしたちも神を待つのをやめよう。
僕がリーダーでよければ日本をひっくり返す革命を起こしたい。
ご近所で仲良くなったゴールドスミスの大学教授の息子がディレクターで2回ほど講演を見に行ったGecko(https://www.geckotheatre.com/)でもよく使われる手法(それを考えたらシアターもいろんな過去のアイデアのつぎはぎでしかないなとも思った)で、窓ガラスの向こうに人を歩かせ、映像が移り変わるように見せる場面が興味深かった。同じ人が右から左へとガラス越しに何度も現れるけれど、しかけは勿論、窓の下に隠れて右の位置に戻り、体をおこして、右から左へと。それをくりかえす。 ああいう幻想的な雰囲気は好きだ。
今回のダンスの感想・面白かった場面
ドアを開けたら風がふいてきて、みんながふっとばされる。けれどほとんどは踊る表現で風を表現していたのが面白かった。
言葉はないので非常に見やすい。
それこそ「恐怖」を演じているのだから、うごきでよーくわかる。
死んだような女性の素足が動いて、その音と同時にドアが開いたり。
首だけベッドからでて不気味に動いたり。
笑わせるシーンも何度かあった。
女性が男性に恐怖を感じるシーンがほとんど。それがきになったけれど、初頭の女性が男にキスを思いっきりするあ、男性がよけ、女性は椅子に思いっきり顔を埋める。それを5回ほど繰り返す。
メイドがなぜか東洋人なのが気になる。
ああそう、またか
と思わせたのがコンテンポラリーダンスでほぼかならずといっての表現方法「脱ぐ」が
またやってきた。
で、男性は完全にはだかなのに、なぜか女性はヌード色の下着をはいていた。
これは差別ではないか?
というか女性は性器がみえないから?むしろ見せてはいけないから? そうしたのだろうか? おおかた、アジア人ダンサーか誰かのダンサーが「わたしは無理」といって、面倒だからみんなに下着をはかせたのだろう。
確実に言えるのは男性は性器を見せないと裸に見えないからそうしたのだろうか。
僕は肉体に関して、おおっぴろげにオープンにしていくことは感じていいとはおもうが、
表現方法として裸になると
なにか不快感を感じる。
いや、なんならもうみんな裸で歩いてはどうか? そうしたら性犯罪も減るだろう。
裸がきになったものの、もっとも美しかった場面はカップルがはだかになり、Sexを表現した二人の動きだった。
舞台から遠かったからよおくは感じれなかったけど、肉体がぼんやりした光の中で絡み合って、彫刻的で美しかった。
後半は水浸しのなかで踊る。だったけど、なにも得にそれがおもしろいとは感じなかった。Pina(ドイツの振付師)がもうすでにやっていることで、新しいアイデアではないのは事実。
前の方でみてる観客にみずしぶきが当たっていやな思いをしていないかなと心配になったくらいだ。
もちろん試行錯誤して作っているのだろう。でもこう。なにかぐぐっとくるものがなかった。
僕だったらもっとこうしていただろう。と思わせてしまう。
文句のつけようがない、「僕だったらこうしてた」と思わせない作品がやはりマスターピースなのだろうなと思う。
シアターはディレクションしたことがないけれど、是非してみたいなと思う。