暗がりの中の会話
僕たちは暗がりのなかへと階段を登って、消えていく。最後まで残った人はほんの数人だった。僕の家族と他数名のファン、スタッフ、通訳、アニメ作家。
天井は窓になっていた。夜空の星がみえて、ノルシュテイン氏の作品を思い出した。
僕らは落ち着いてゆったりと話をする。部屋はやっぱり薄暗くて、穏やかな雰囲気に包まれる。
今回のイベントに来た、殆どのお客さんは高畑勲氏が目当てではなかったのだろうか?ノルシュテイン氏と積極的に話をしようとした人は、僕と他数名だった。
眼鏡をかけた女性が、ノルシュテインの作品「話の話」のシーンを語る。
「あのシーンになると涙が止まらないんです」
と
そして彼女は泣きだしてしまう。
もうひとり、氏の熱狂的ファンでハイテンションの女の子もまた作品を語りはじめ、泣きだしてしまう。
ノルシュテイン氏が
「僕は女性2人も泣かせてしまって、悪い人だな」
と冗談で言う。
会話はゆったりとして、殆ど無音な時が多かったような気がする。
ぼくもなにか話したかもしれないけど。この女性2人の話しか覚えていない。
夜も遅くなり氏は帰ろうとする。 ハイテンションの女の子は
「明日なにしますか?」としつこく聞いてくる。 おっかけのようにずっとついて回ろうとする気みたいだ。
「前に靴下送ったんですけど届きました?」と彼女が聞く。
「はは、あれは君か!」と氏は笑った。
それ以来僕はノルシュテイン氏と会う機会がなかった。
後にジブリ美術館の宣伝のポスターで彼が宮崎駿氏のキャラクター作品の横に腰かけていた。
「誰だこのおじさんってみんな思うだろうなぁ」
と僕は思った。
駿氏の引退のときもノルシュテイン氏を連れてきたかったようだが、場違いになるからとノルシュテイン氏に断られたそうだ。 とにかく駿氏はノルシュテイン氏が大好きなのだろう。
ノルシュテイン氏の作品は明らかに大衆受けではない。
しかし大衆受けな作品とはなんなのだろうか?
音楽もそう。エンターテイメントな作品とアーティスト性にすぐれた作品。
その中間の作品もある。そういうものが一番作るのが難しいと思う。
絵画はどうだろう。 絵画はなぜだか、理解困難な作品でも大衆の目にとまる。不思議なものだ。 よくムンクの叫びなど日本で展示をすると、わんさかくる。 そしておばちゃんたちが、ずらずらと眺め。あーだーこーだーとぶつぶつ話すのである。
ミーハーでみんな来るけど、果たして彼らは感じているのだろうか...
アニメだって、皆が見るような、そういう機会があってもいいとおもうけど。時間が関係する作品は映画、音楽、アニメすべて、退屈させてしまうのだろう。
ノルシュテイン氏が影響を受けたセルゲイ・エイゼンシュテイン
ご存知ですか?
作品は一つしか見ていませんが、これもまた深ーい作品なのだと思います。
そして人によっては退屈!な作品なのでしょう。
アーティスティックな作品ほど感じるが難しい。
難しいというのもへんだけど、コツがいる気がする。
波長が合うともいえるのだろうか。
僕は人がセンシティブになればなるほど、そういった波長を感じられるようになるものだと思う。
軽い波長のものばかり見たり聴いたりしていると、上に上にと体が浮かんで行って。深ーいものを感じれなくなるのだと思う。