久しぶりに日本に帰ると、気づくことがたくさんある。
ぶつかっても謝らない
密集してる場所で人はぶつかっても謝らない。
これは東京の人口が多すぎるからということも言えるかもしれない。
ロンドンも800万人ほどの人がいる。 でも人数が多いからとぶつかったら謝らないことはない。
これは言葉の問題なのかもしれない。
「sorry」
という言い方が非常に言いやすい。
「すいません、ごめんなさい」
という言い方は言いにくいのかもしれない。
できるだけコミュニケーションはとらない東京人にとって、暗黙の了解でぶつかっても、しょっちゅうだから、謝り続けても時間がもったいないということなのだろうか?
でもぶつかって。すみません。といえば
「おう、ゆるしてやるか」
と思うけど、ぶつかって何も言わないとネガティブエネルギーが貯まるのではなかろうか?
そんなせいで、ストレスがたまり、いきなり道端でナイフ持って暴れだしたり、電車に飛び込んだりするのではないだろうか?
ストレスのレベルが100で自分か誰かに危害を加えるとしたら。
ストレスレベル1は確実にぶつかって謝らないことで上げられていると思う。
地方出身の人は人とぶつかったら謝ると言っていた。やはり人口の問題なのか? 東京人の文化か?
東京の人は冷たいのであろうか? でもさすがに靴を踏んだりなんかしたら謝るべきだ。
「痛い!足踏まれた」
でもそんなことも無さそうだ…
荷物を持ってくれない
これは日本人にとって当たり前かもしれない。
階段の前で重いものを持ってる女性をみたらイギリスでは必ず階段の上り下り誰かが声をかけて手伝ってくれる。
それは当然のことではないだろうか? お年寄りを助けるという考えは日本にあるかもしれないでも、女性だってそんな重い荷物を運ぶのは大変である。 日本人は道案内とか親切だけど、何か困ってる人を助けるということは。
昔日本のテレビで泣いてる女性を日本人はどうするかという、番組をやっていたが。 やはり邪魔をしてはいけない、人に迷惑をかけてはいけないという思いで、心配そうに見ているだけであった。
ロンドン帰りの友達が、ロンドンのに住んでいた影響で女の人が荷物を重そうに持っていたので、
「手伝いましょうか」と言ったら
「え、いいです!」
と言われてしまったらしい。 逆に嫌がられたのである。 彼女は自分の荷物を持っていかれるか、お金を請求されるとか思ったのだろうか?
持ってくれるなんて事が日常でないから、驚いたのは間違いない。
道で人に声をかけられることに慣れていないのだろう。
僕らはただ親切でやっている。 階段の上もしくは下まで持って行ったら、「はい、さよなら」
というだけで別に下心があるわけでも、何でもないのである。
これもまた人が多すぎるからであろうか?
他人のビジネスに対して迷惑をかけない、Mind your businessということであろうか?
困った人がいたら助けるのが当然ではないかとは思う。
変な英語が飛び交う
ちょっとした英語講座。
例えば Thank you for using ***LINE (何々線(電車)をご使用して頂いてありがとうございます)というように、電車の中で流れるアナウンスメント。
「ご使用」を直訳しているが、これはThank you for traveling with.
Be careful! というのも不思議だ
気をつけろっていうわけでは気をつけてくださいウォッチアウトWatch out か Mind...何々に気を付けてが正しい。
これだけ外国人がいるわけだから、ちょっと聞いて直してもらったらいいのではないか?
いかがわしい中吊り広告
日本にいる時は何も感じなかったが、 何で10代の女性とかが水着になってる写真が中吊り広告にあるのか? はっきりいって、そんなことしたらイギリスでは大問題である。
なぜなら子供を性の対象として公共の場で宣伝しているからだ。
性に関して、僕は言いたいことはたくさんある
こういったアイドル産業とか性産業とかそういうものが、大きくなればなるほど世の中はおかしくなっていく。
英語では「objectify」
という。
「人を物とする」
なんともひどい表現だけれど、このオブジェクティファイを広めたい。
女性をものとするからこそ、男性もものとなる。私たちはものでも製品でもない。 人を製品にすること自体がおかしいことなのだ。
人は人。外側や外見だけでなりたってはいないのだ。
知らず知らずのうちに社会に大きな影響を与え、私たちの幸せはどこかへ飛んで行ってしまう。
日本の古来のよろずの神の影響なのか、アイドルや中吊りの半裸の女性は神となり、偶像崇拝され、みるものはいろいろな、神(テレビ、アニメ、アイドル、ゲームも含め)を崇拝し、自分をなくす努力をしている。