眠れない日が続いた。
体がもぬけの殻になった感じがした。 いったい何が僕を動かしているのかわからなくなった。
必死で体の舵をとり、必死に英語は何とかして話すようにして、聴くようにした。
必死に
死ぬ気でがんばれってよくいう。この状態は瀕死の状態でなんとかもがいている。
健康な状態で必死になること。できるかもしれないけれど、巨人に踏み潰されそうなようなときこそが本当に必死になれるのかもしれない。
これは自分にとっていいことだ、経験になる。
なんて考えることもできなかった。ただただ次の一秒を生きるのが大変だった。
僕の住んでいるアパートにはアメリカ人は住んでいなかった。 ヨーロッパ人や韓国人の訛りなど違いも分からず、とにかく耳を済ませてかれらの英語を聞いていた。しきりに彼らは僕にいろいろ話してくれる。 なんども聞き返すのがとても悪い気がした。でも彼らは笑顔で話してくれる。僕の英語は酷い発音でしかも、単語だけで、文章になっていなかった。
記録好きな僕はその時愛用していたMDレコーダーで会話を録音した。
今聞いてもひどいものだ。
ボストンでは特にやることはなかった。
けれど、大体3週間後にニューヨークに行くことに決めていた。
日本に帰るチケットをボストンからではなく、わざとニューヨークからにしておいた。そうしたら嫌でもニューヨークに行かざるをえなかったからだ。
アフリカのジャングルの奥地でもないのに、電車もバスもあろうにも、僕は空港までたどり着くか不安でしょうがなかった。でもそういうことをしなくてはいけないとはうすうす感じていた。
そこで大学を見ることができたらと思っていたけど、どこに何の大学があるのか全然知らなかった。
僕は気晴らしに近くのボストン美術館に行くことにした。家の目の前にある綺麗な公園を通って行く。ボストン美術館はすぐに見えた。 公園のすぐ外に美術館があるなんて思ってもみなかった。
ボストン美術館は静かで日本の美術館の雰囲気となんら変わりがなかった。