水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

ファスティング(絶食)をしよう⑬ 小2の断食の記憶

ゴミ箱の中で生まれて、ゴミ箱の中で死ぬ人生

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absorb-007 by Satoshi Dáte

ファスティングの話の続き。小学校二年生の終わりに入院をして断食させられた。

 

なぜか僕はおねしょをした。いや点滴をどうやって運んで、どうやってトイレに行ったらよいかわからなくて、ベッドでしてしまったのか…それとも本当に、すやすや寝てる間におねしょをしてしまったのか覚えていない。

 

 

幼稚園まで僕はおねしょをしていたけれど小学校2年はさすがにしていなかった。と思う。

 

 

我慢ができないときに日中に漏らしてしまったことは、何度かあった。

トイレがちかいのか、生まれつき膀胱がちいさいのか。

 

合唱団にいたときに、ステージに上がると緊張でトイレに行きたくてしょうがなくなったことがなんどもあった、そういう時は緊張でなおさらトイレに行きたくなった。

 

なんで大事なときの前に、トイレに行かなかったのだろうか?ほかの事で頭がいっぱいで行くのを忘れるのか。

それとも我慢できる時間がとてもすくなかったのか。

 

授業で発表、ステージで歌う(合唱団で)とか緊張するような場所ではなおさら恐怖を感じていた。

 

病院はたしかに緊張する場所だった。

 

家に帰って家のベッドで寝たいと何度思ったことか。まわりに囲まれながら寝なくてはいけない。

 

でもさすがになれた、親がいないと眠れなかったし、恐怖でいっぱいだったのに、病気でつらかったのでそれどころではなかった。

 

意識が朦朧としているとさびしさもなくなるのだろうか?

 

あるものがないから普段苦しいものだ。

 

コロナの自粛も、家で待機するのも、普段あるものがないから苦しく思う。

 

無いものだと思えば苦しいものでもなく、箱の中で楽しめばいい。

 

ゴミ箱の中で生まれて、ゴミ箱の中で死ぬ人生だってあるのではなかろうか。

 

そういう人生はそういう人生で楽しいものだ。

 

これから一生病院にいたとしても楽しまなくてはいけないという覚悟は多少はあったと思う。