水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

クレオパトラに逢った ④

美人だからか?

美人じゃなかったら声をかけないのか?

それとも彼女は美人ではなくて、僕が勝手に思っている「社会が認める」美人ではないのか?

 

女性が一般的美人であるかどうかなんてずいぶん前に僕はもう考えないことにしていたではないか。

そうエジプトの本当のクレオパトラと会ってから…そうなると2000年前だったかな。

 

一般的な美しい女性と話したい、彼女にしたい!とかってのは、完全な承認欲求でしかない。

 

自分からきたものではないのだ。

 

なぜなら、一般的に美しい女性は、一般的な、みんながそうだそうだと多数決で、投票で決めた美しさである。

 

そういう女性、だれしもが美しいと思う女性とお付き合いしたい、結婚したい、自分がそういう女性と一緒にいる事で「認められる」からである。

 

 

「自分が」(ほとんどの人は自分がと思っているけれどそうでないとおもう)美しいと思う女性、男性と一緒になることがわたしは健全であると思う。

 

もちろん自分が本当にうつくしい、心底から感じる人がたまたま一般的に美人であることはあるとは思う。

 

さておき、彼女の事は美しいとは確かに思った。それは嘘ではない。

 

でもそれで友達にしたいのか、ただかっこいいからバンドのメンバーにしたいのか、ただ彼女にしたいのか、ただ結婚したいのか、それとも結婚しておいて、みんなにみせびらかして、すぐに飽きたら離婚したいのか? それははっきり言ってわからない。

 

たとえ運命の人と出会ったその日だって、どうしたいのかなんて誰もわからないのだ。

 

ここまで書いたことは本当に自分の頭の中で考えたことである。人間というものは本当にすごい。  たったの1分間でいろんなことを考えるなら0.1秒ぐらいでも本当にこんなくだらないこと(?)を 色々考えるのだ。

 

彼女が僕に声をかけて、僕と結婚なんかしたりするかもしれない。

 

「自分が」(ほとんどの人は自分がと思っているけれどそうでないとおもう)美しいと思う女性、男性と一緒になることがわたしは健全であると思う。

 

頭の整理ができていないで結婚するから、あとで「こんな人だとは思わなかった!」 とか言うのかもしれない。

 

そもそも結婚する時点でそのくらいは感じてほしいものだ。

 

結婚って「生涯一生一緒に人生を歩みます」だと思うので。

 

逆に言えばごちゃごちゃで整理されていないから、この人は自分にとって「最高な人」か否かそんなこと考える暇もないから

 

ああああああああああああああああ! なんでもいいから先に進まないと!

 

という感じで決断するのかもしれない。

 

相手がどんな人であろうが、それが最高の美人であろうが、そうでなかろうが、結局は自分の鏡なのだ。

 

もしかしたら最高の美人は僕に惹かれている理由は、美男子と一緒になるとあとあと面倒だし、承認欲求を満たすと思われるのも面倒だし、適当にあとは人生歩みたいからこの人でいいか。という感じで結婚する可能性だってある。

 

結婚もおつきあいも需要と供給である

 

お互いが何をしてるのか全然わからないけどなんか一緒にいることもあるだろう。