水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

クレオパトラ⑤

120%愛せないのならやめとこう

クレオパトラ風の女性に逢った。

彼女は僕と仲が良かったタイ人の友達にそっくり である。

 

それでそのタイ人の事を美しいとほんの少し思ったことがあるが、結局その気持ちも消滅していった。  消滅する美しさとは何なのか?

 

 

僕はそのタイ人を見た時に男性的でかっこいいと感じた。 それはもちろん僕が若かったからであるが(?)、中性的な女性に非常に…僕は惹かれていた(か、いまでもそうかもですが)。

 

そのころ僕は人のお鼻をよく観察していなかった。

 

僕はお鼻はとても相性をかんがえるところで重要な気がしてきた。

 

最近は鼻が気になってしょうがない。  西洋人は鼻が高くて美しいとみんな言うが、 僕はもうそういう風に感じない。 皆がそういうから、そう思うのだ。 しばらくずーっとみていると、 逆に低い方が美しく感じる時だってある。  これもそれも、自分にとっての美とは何かを知るきっかけである。

 

多くの女性や男性を見てみると、商業的(?)な美と、自分に合った美がなんなのかわかってくる。

 

あまりにもテレビやインターネットをみすぎていると、自分の価値観がわからなくなる。

 

 

クレオパトラは僕と同じ方角だった。 一緒の場所にいて、話す機会がずっとあったのに、離さなかった。 そして僕が予想していた通り、オックスフォードサーカスで彼女は降りるのであった。 

 

一緒におりる。 その機会を利用して、僕は彼女をみつめ、彼女は僕を見つめる。

 

彼女は半笑いしながら、こちらを見て僕が口をあける。

 

「Where do you live?」 どこにすんでいるの?

と聞いてみた。

 

「ルイシャム」

 

と答えた。

 

ざわざわと足早に群衆が歩く波にのまれながら、彼女は同じことを僕に聴いてきた。 

 

僕の駅の名前をいうと、

 

「セントラル ね」 

という。 それは電車の線の事をいっていたのか、中心という意味でいったのかわからなかった。

 

僕は「いやセンターではないよ、北の方だよ」

 

というと、彼女は少し混乱したような顔をして、納得する。

 

彼女は階段が左わきにみえてくると、

 

「私、こっちに行かなきゃいけないから」と言い、「Nice meeting you…会えてよかったわ」

と言って、

階段を上り彼女の黄金に光る褐色の肌を持つ体は僕の視界から消えていった。

 

彼女と会うことはもうないであろう。

 

昔の僕なら、どうにかして、共通点をさがして、連絡先を交換したかもしれない。

 

でもそんながっついている、自分がいること自体がいやである。

 

どうせなら引き寄せて、かってになにか良いことがやってきたほうがいい。

 

もしかしたら彼女も同じことを考えていたかもしれない。

 

そういう意味では現代社会のなかでもまだ女性は不利である。というのは、女性から男性に声かける事「西洋ではおおいにありうるが」 

 

ましてやこんな東洋人と(しつこいな。。。)

 

正直、自分の体や人種についてはほとんど忘れかけている。 しかしこういった状態ではいやでも思い出す。

 

いっそ顔を隠すマスクをしながら暮らしたいものだ。

 

全員がマスクをすれば随分とはなしかけやすいではないか。

 

逆にその方が、「この人と絶対気が合う!」とおもってはなしかけやすいものだ。

 

自分が美しいために、自分が美しくないために、 隔たりができて、話しかけれないのだ。

 

彼女は去ってしまったが、とくに心臓もいたくない。 

 

瞑想をまじめにするようになったからだろうか?

 

彼女を友達にしたかったのか、バンドのメンバーにしたかったのか、 永遠に愛する結婚相手にしたかったのか、 自分自身でもわからないが、120%永遠に愛せるかと言ったら疑問である。

 

であったら、恋人として考えるのは皆無である。 そこまで120%愛せるかどうかなんて最初からわかるわけないと皆さんは言うかもしれないが、最近はなんとなくわかるようになった。 じぶんの奥底にきいてみればいい。

 

それがわからないから、若いころは失敗を重ねるのであろう。そしてみんな、一般的に美し人たちのところへ集まろうとするのだ。

とりあえずはこれは自分を見出す小さな一歩でもあったとおもう。 とくに大げさなドラマティックなことがおきたわけではないが、

 

以前していたような行動はしていないし、むしろ傷もついていない。

 

このまま続ければ、自分がもっと輝き始めるのではないかと思う。