水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

男性は女性に怒鳴られるのを恐れる・これほんとある。

「彼女」がまたあらわれた。久しぶりに厳しい夢だ。

Artwork by Satoshi Dáte



正方形に近い長方形のシンプルで白いテーブルを前に僕と彼女を含め4人座っている。

右側は窓なのか、太陽光を感じる。

右斜めに彼女は座り、僕は彼女の右斜め向かいに座る。 まわりはぼんやりと絵の中にいるようだった(夢の中にいるよう?)。 横にいる女性と前にいる女性はぼんやりとして、ときどきいたりいなかったりだ。(それにしても男性はなかなか僕の夢に出てこない)

 

彼女は一人でいらいらしているようだった。

 

久しぶりなので、どう話していいかわからないからか、彼女は通常をとりもどそうとしてるせいか、平穏を装ってるせいか、ちょっとべらべらと僕にたわいもないはなしを話す。

 

だがこれは彼女の防具であり、僕が愛の話などしたらすぐさま怒鳴られる感じがした。

 

僕はびくついてそのままにしてしまう。

 

シーンが変わり(これは違う夢の可能性がある)漫画、寄生獣で市役所を警察が包囲する場面と同じシーンで僕は傍観する。

ショットガンで人をどんどん殺していく誰かがいる。

 

ショットガンで体が撃たれるのを(銃ももちろん)初めてみた。

 

思考:人は自分の肉体を自分の肉体でないと思う傾向にある。肉体とは何か? 精神は自分のものであると必死に願うが、なぜか人は肉体を自分のものとせず、尊重なしに扱う。 そしてそれが、まるで自分のパペット、機械、道具のように扱う。

 

けれどもそれでも精神は自分のものであると主張する。あたかも肉体は虚で、精神はつねに存在し得るかのように。 そう、精神がなくなっては自分の存在が危ういからである。

しかし肉体が虚でなぜ精神が最後の砦になるのか?

 

 

ここで実際の「彼女」がどういうふうに彼女の肉体を扱っているか明らかにはできないが、この関係のなさそうなショットガンの話と関係がありそうにも思える。破壊されるということは恐ろしいことでもあり、快適なことでもある。 

 

たとえば、ゾンビのゲームでもゾンビを殺したり、悪い奴を爆破したりと少なくとも子供はそれを「快感」と感じるであろう。

 

人を殺したり、自分を殺めたり、自分を痛めつけたり、人を痛めつけることは、こういった「快感」や自分の痛みからの置き換え、からなるように感じる。またこれは体をいためつけたり、自分の体を売ったり、そういった行動も関係していると思われる。

 

こういった社会の中での人々の行動の糸を丁寧にたどり、ほどいていったら、人の闇や社会の病気を癒していくことができるのではないか?

 

 

ひとはまた幸せになりたくない。

幸せから逃げようとしている。

 

幸せとはなにか、抽象的でつかみようのないものほど人は恐れる。

それでいて、占いやスピリチュアルなものに惹かれる人も同時にいるのが不思議である。