水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

殴られて10針縫って大切な物を盗まれる⑧

ムンクの叫びの世界を見た

Artwork by Satoshi Dáte

前回の続き>

路上で殴られ10針縫って、大切な物を盗まれる⑦

 

僕が武道を稽古していてなぜ殴られたか?とあなたは僕に問いかけるかもしれない。

これは僕もそう思った。「なんたる失態だ」と。その後道場の先生と稽古する皆と語る機会があった。そこで彼らのどの一人も、「なにやってるんだ?」という顔を一切見せなかった。 普段僕が教える白帯の人にも馬鹿にされることもなく。

そして中には似たような経験をした人が結構いて(さすがイギリス)非常に彼らの意見に納得できた。

それはまた後に述べるとする。

 

まず皆さんに聞きたいが

 

誰かに本気で殴られたことはありますか? 

 

前にも述べたように、知り合いに殴られたことがあった。でもやはりそれとは今回は全然違う。

 

今回の場合は、相手は怒り狂っていた。

 

まさに手が付けられない状態。

 

そしてしかも僕は完全に瞑想をした後で半分眠っていた。半分眠っていたからこそ、普段しないような挑戦をしてしまった。

 

一瞬の隙をつかれ、僕の心の中に闇が入り込んでしまっていた。

 

すでにおびき寄せられているような気もする。

 

その襲ってきた輩は、まるで怒り狂った猛獣の様である。たとえ相手が小さくても、ネズミだろうが、犬だろうが、歯をむき出して猛スピードでやってきたらかなり恐ろしいと思う。

 

刀で手を切り取ろうが、片足が爆弾でぶっ飛ばしたところでも、彼は向かってきただろう。 そういう気迫は、立ち向かいようがない。 その男が大きかろうが小さかろうが、戦いの技術を心得ていようがあまり関係ない。

 

何をするかわからない

 

本気で相手がどうなってもいい、殺してもいい

 

という気迫だった。

 

なんというか時空がゆがんでた。

 

分析はある程度できるが

 

こういった人を平気で殴るような輩の世界というのもはすさまじくダークだ。

 

それまでたくさん人を殴ってきたのであろう。

もしくはこれからそうなる人であろう。

 

いくら逆上したとしても僕は誰かを殴ったことなど生きていて一度もない。

 

武道の先生が

 

「彼らは我々の理解できる範囲を完全に超えている」と仰っていた。

 

世の中には

 

「人を傷つけることを平気でする輩が存在する」

 

とも語っていた。

 

実際こういう風に語ってもピンとこない人はいるだろう。

 

その場にいない限り。

 

向こうとしては生きるか死ぬかのために盗難したものを警戒して売りさばいていたところだった。

 

そんな生きるか死ぬか切羽詰まっている状態のところに、彼の危険信号区域に僕は踏み込んだ。

 

彼らに善悪について論じたところで通じない。ただ暴力をふるうだけだ。いらないやつは削除すればそれでいい。

 

向こうが攻撃態勢になって、さて、どうしたものか、と考える暇はない、やあやあ、我こそはと、名まえを名乗ってる間に一撃を食らってしまうのだ。

 

実際に僕はいちどその場を去ろうとして、また振り返った、振り返ったときには彼は1m先の目の前にいたのだ。

 

前に語ったように北ロンドンでトンカチを持って殴り合いの闘争をみた。

そのとき確かに

 

次元が歪んでいた。

 

本当にぐにゃりとなっていた。人も地面も建物も空気も。 ゴッホやムンクは

こういうものが本当に見えていたんだと思う。

 

表現主義のアーティストが暴力的なシーンにいたというより、自分自身の世界があまりにも追い詰められてぐにゃりとなったのだろう。  精神的に追い詰められたとき、死を感じた時、死を作ろうと暴力的な緊迫した世界を作る時、世の中は歪んでいく。

 

ブラックホールのようだ。

 

人が暗黒の世界に入り込む。

 

「人を殺そう」

という意思によって

 

ぼくはその歪んだ世界に足を踏み入れてしまった。

 

日本は平和な国である。

ロンドンでは…ときどきおきる。 地域によりますが。

 

以前住んでた東ロンドンでは血のりや血の海の跡があるコンクリートの上を歩いて学校に行くことなんてしょっちゅうだった。

 

殺人事件があると、テープがひかれてたりする。

 

考えてみれば1年に1回くらいあったような気がする。