水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

川崎殺傷事件。ニュースを観るという無駄な時間① - 思想

ニュースとは私達になにを教えてくれるか?

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川崎殺傷事件。ニュースとは一体、私たちにどんな役割をするのだろうか? 大人は子供に「もっと新聞を読みなさい、ニュースを見なさい」という。果たしてニュースを見ることでなにが得なのか? 本当に私たちは歴代の大人たちが言うように「世の中を知るため」にニュースをみているだろうか?私はそう思わない。

 

自殺も含め、殺人事件などニュースを見たあとに、なんて酷い奴だ、こんなおかしな奴がいるなんて、という憎しみや怒りに駆られる。

 

私はそこに発展性をみつけられない。社会のせいや、自分の行動や、自分自身の中で反社会的な行動を行った加害者に何も関係がないと思う傾向がある。

 

自殺防止 NPOの局長と話したことがあるが、 人と話したことがあるが政府も市民も自殺は自分たちがやったことであり、社会とは自分達とは何の関係もなく、個人の自由で行なっていることと錯覚していると言っていた。

 

私たちはこういうニュースを見ると、

 

一般的な反応としたら、なぜ自らだけを犠牲にしなかったか、なぜ幼い無防備な子供達を襲う必要があったのか。

 

こんなおかしいやつ、死んでしまえとか、理解に苦しむとか。

 

加害者に批判をするひとは、全く自分自身の事について、社会については考えない。

 

はたして加害者と自分となにか重なる部分がないか?あるか?

 

彼は必然的に殺人犯になったのか?遺伝子のせいなのか?環境のせいなのか?自分の周りにそうなる可能性の人間がいるだろうか?またいたとしたらどうやって殺人にいたらないように防止できるか。

 

自宅にゲームが見つかったということで。人は「またゲームのせいにして」と批判があるらしい

 

ゲームのせいだけではないだろうけどごく僅かは関係はあるのではないだろうか。

 

私はゲームをどれだけしても殺人鬼にならない自信はあるが、世の中に絶対という事はない。

 

殺人犯が、自ら死を遂げてしまったために、手がかりがないからそう報じたのではないだろうか。

 

ニュースというものはまた、一瞬で、結局事の真相が分からず、

 

あの事件は一体何だったんだで終わってしまう。

 

オウムサリン事件だって、あれだけ騒いだのに、

 

結局真相は闇の中である。

 

人は真剣にこういった恐ろしい事件を

 

自分や自分の周りに置き換えて、考えているのだろうか?

 

あなたは考えていますか?