本当の女性の美しさとは。夢の世界の中の夢
もう一つ素敵な思い出がある。
小さい頃に通っていた合唱団の話をする。 合唱団ではほとんど話す相手もいなくて、僕はひとりだった。仲の良いほぼ同い年の女の子はいたけど。大抵はポツンとしてた。 けれどもお姉さん達に囲まれて嬉しかった。彼らもなんと声かけていいのかわからないのだろう。何より歌を歌っていいということは嬉しかった。ソプラノ、メゾ、アルトと、ちゃんとパートが別れていたにも関わらず適当にやっていた。
毎週レッスンに通ってはいたけれど練習なんて全然していなかった。 歌えればそれでいい。と思っていた。先生もたぶん呆れていたと思うし、僕はちっちゃかったんで何も言わなかったのかもしれない。
合唱団だから僕の声は埋もれてほとんど聞こえない。 だから間違ってようが、歌ってなかろうがわからない。 恥ずかしくない。
パートにわけて歌うとき(3人だけとか)、ひどく緊張した。音程はまねしてなんとかその場をしのいだ。
思う存分に大きな声で歌えて最高だった。 歌を始めるまえのワーミングアップは退屈だったけど、後でこれが声量をつけるための訓練になるとは思っていなかった。
一度合唱団にいたときサントリーホールで歌う機会があった。 普段は地方や、小さい公会堂で歌うのが殆ど。
そこで生涯忘れない経験をそこでした。僕は小さいので母がいつもコンサートのときはついてきてくれた。
ところがこの時は何を思ったか、コンサートが終わった後母親は勝手に家に帰っていた。
僕が母を探してると他の女の子達のお母さんが心配して、家に電話をする。
「あらお母さん家に帰っちゃったみたい」
母が帰った理由がわからなかった。大人たちは少し困惑した表情でいたきがする。 もしかしたら軽くうけとめて面白い出来事だと感じた人もいたかもしれない。
僕は小学校中学年くらいだったろうか、メンバーの年上の女性達も大きくて高校2年生くらいだ。彼らのお母さんが付き添うのもおかしくない。 ぼくはそんな中で一番小さかったのだ。
合唱団は地元の人達だったので家まで送ってくれるということになった。
それがきっかけで僕は感じたことの無い女性の柔らかさを感じることになった。
8時、9時ぐらいだったと思うが、小さい僕にとってはとっくに寝る時間だ。 レストランでご飯を食べて、お金のことを気にしている間に非常に眠くなってうとうとしていた。そしたら女の子の一人が
「お姉さんの膝で寝ていいよ」
と言ってくれて、僕は
「じゃあお言葉に甘えて」
とは言わなかったけどそのまま彼女の膝に倒れこんだ。
普段だれも僕に会話などしてくれないのだ。冷たいと感じていたとおもう。
レッスンの始まりも、終わりも、声をかけるのは気を使う彼らの母親達だけだった。
もちろん小学生にいったいなにを語ればいいのか
「将来何になりたいの?」
「昨日学校で何した?」
「何処の学校に通ってるの?」と言った具合か。
こどもというのは共通の話題がなければ会話できないものである。
僕は天使のような女性たちに囲まれながら、枕のようで枕でない生身の人間の表面に横顔をうずめた。
何かその時母親とは違う、不思議な柔らかい感触は感じた。 それはそこにあるようでないような、白いような無色の様な。 なんかしてはいけないことをしてるような、神聖なことをしているような。
いろんな感情が込みあがった。でも心地良さに圧倒されて。柔らかさに包まれていった。
もちろん僕は少年だしお姉さんの膝に寝ているという事実以外になにも思わない。だけどすごく幸せな感じがした。それをみた周りの女の子たちが、
「可愛いいいい!」
と大きな声で僕に向かって一斉に声を出す。僕は多分その時真っ赤になったと思う。動かない様に何とか堪えたがそこでニヤリと笑ってたらまずかったと思う。そのまま眠りに落ち何か良い夢を見たような気がする。
女性というものは何かとわかりづらくて純粋で純白で、とにかく僕にとっては不思議な存在だった。いまでもそのはずだが、やはりそれを感じるときは少なくなっているような気もする。
僕はそこを純粋な何か神秘的なものがあると強く感じてた。
魂が教えてくれた何か、透き通っていて掴みくくて影があって、複雑で単純なもの
僕は絶対にわかることの無い何かがそこには確かに存在していた。 本当の美しさというものは内に秘めたものだと思う。僕はこういう機会があったから、女性に尊敬を抱いていたのかもしれない。
美しさというものは本来そういった捉えにくい、形に表せないものだと思う。 僕は本当に美しい女性というものは誰もが描けるものでもなく、肖像画にもなく、写真にも残らず、映画にも残らず抽象画のようなもの。
だと思う。