水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

有名じゃなければないほどあなたは素晴らしい

Satoshi Dáteの作品が100億円になった

Artwork by Satoshi Dáte



僕は前から彼に質問したかった挑戦的な問いを投げかけてみた。

 

それは

 

「なぜアーティストはアートを売らなければいけないか?」

 

だ。

Fのスタジオにはとっても素敵なアーティストのカタログで埋め尽くされていた。アーティストのスタジオはこうでなければいけない。と改めて思った。 日本に帰ったら古本屋でいろいろ買って帰ろうと心に決めた。

 

小村雪岱。きいたことがなかった。僕が彼に鈴木晴信をみせたときに、僕のスタジオにあるよ。と言っていたが、実際は小村雪岱だった。 日本人の名前だから記憶になかったのであろう。たしかに女性の描き方は似ている。

 

よくみたらとてもモダンだ。 時代を見ると大正時代だった。 明治後に、西洋的なものを取り入れてこういった作品を描いている人は非常にレアである。そのあと戦争の時代に入り、こういった人はいなくなってしまったのであろう。

 

Kai Althoff,

https://en.wikipedia.org/wiki/Kai_Althoff

 

この作家は僕の作品に似てると彼はいう。 絵を飾るときに、布を使って会場を覆いつくして、その上に絵を飾るなどユニークなアプローチをする。そして売るのが嫌になって、パフォーマンスや音楽を作っているらしい。

 

ぼくの夢日記スケッチインスタグラムをみたときに、この人の作品を感じたとFは言う。

David Shrigley

ちょっとに似てる…

 

あとは

Peter Doig

 

Francis Alys

をみせてくれた。

 

彼が興味ある東京のギャラリー

Tomio Koyama Gallery

http://tomiokoyamagallery.com/

https://www.instagram.com/tomiokoyamagallery/

 

Taka Ishii Gallery

https://www.instagram.com/takaishiigallery/

 

 

 

僕ははっきり言ってよくできた絵画は、自分の子供のようなもので(よくできてない物でも時には)、自分の分身のようなものだから手放すことはできない。

 

後にパブでFさんと一緒に別の友人が「結局何が起きようが、その作品は君のものじゃないか?」 と確かなことを言ってきた。

 

しかしそれは違う。

 

というのはアートの購入者は買ってしまえば 彼らのものになってしまう。彼らはそれを売買することも出来るし、破壊することも出来る。 

 

それが人間社会でとても重要な作品であってもだ。

 

僕は好きな作品があって、購入したら、自分の部屋に実物を飾りたいとは思わない。 プリントでいい。 僕はどこか美術館に飾っていろんな人に紹介したいと思う。

 

そう、ここにも別のアートの売買の問題がある。

 

「なぜ人はアートを所有物にしたいのか?」

 

その作品にあるとてつもない、 何かスピリチュアルなエネルギーがあり、それを部屋に置きたいというのならなんとなくわかる。(アートはそういうものかもしれないけど)

 

そんなこと言う人がいるかどうかわからないけど、アーティストも購入者もお互いに理解して、これはあなたの部屋に置いてもらいたい、 私はこの部屋にあなたの分身であるアートを飾りたい。というような同意があればよいとは思う。  

 

なんで「独り占めにするのか?」

 

を問いたい。

 

愛する人であれば、家族や友人にはこれを渡したい。と僕は思う。

 

 

だけれどだ、 アート作品は切っても切れない、作家の魂を込めた作品なのだ。 もう一人の自分なのだ。もう一人の自分をどうやって人に渡せるだろうか? あなたの子供を、兄弟や姉妹を、両親を誰かに売ることができるだろうか?

 

だから貸すのであればわかる。

 

そういう制度にしてほしい。 そしてアーティストは「真実」を表現してくれる魔術師の様な、地球のセラピストの様な存在なわけだから、政府なりパトロンが生活費、制作費を出してあげる必要があると思う。

 

 

現在の資本主義とアートというものは 合致しないのである。

 

貸したら、それを防弾ガラス張りにして、ましてや傷でもつけたら逆にアーティストにお金を払う制度がいい。

 

クレイジーだと思うひとがいるだろうが、 昔、僕のアートを譲るときに、いつでも展示会などがあるときに返してもらう権利があるという同意書をつくった。

 

今思えば何個かの作品を手放したことに非常に後悔をしている。 もう二度と彼らは戻ってこないのである。

 

 自分の分身を売るような感じだ。 こんなにひどい商売はあるものであろうか?

 

Fももちろん僕の意見には賛成してくれた。 売ることに、ギャラリーがプロモーションしてくれることに良いことも悪いこともあるという。 その資金で作り続けることができる、モチベーションになるといっていた。

 

幸いなことに彼はコミッション(頼まれて制作する)の作品は作らない。 ただ好きなものを制作しているのだ。  そこで僕は問うた。 

 

「もし君が売れていなくて、自分の好きな物だけ描ける環境であったら、作品も変わっていたのではないか?」と

 

彼はこの質問については答えを濁していたけれど。

 

100%NOとは言えないのではないだろうか?

 

もちろん売らない事が「良いこと」ではないかもしれない。

 

だから確かに彼の言うとおりに作品を売り続ける事には良いことと悪いことがあると思う。

 

僕自身にもあるだろうけど、 誰かに作品を披露したり、売ったりするとき、作品の中に多少の承認欲求があり、ブランディング、マーケティングをすこしは考えてしまうであろう。そして、作品もまた変化してしまうだろう。

 

パブで僕らはグランジ音楽や90年代のブリティッシュロックの話で盛り上がった。

 

それらバンドのプロデューサーもまた先ほどのFloodだ。

 

いろいろと今日は物事が重なる。

 

今度は僕の作品について語り始めた。

 

彼は意外にも僕の作品をよく見てくれていた。

 

「沢山のアーティストを見てきたけど、君の作品はオリジナリティーに溢れて、すごいユニークだ。」

 

「君の作品は素晴らしいのは、ほかの人の事を考えていないからだろう」

そしてさらに

 

「失礼に聞こえるかもしれないけどもっと売れると思う」

と年配の人に言われるようなセリフをいただいた。

 

彼とは気さくに話せるので、売れっ子ではあるが隔たりは感じない。

逆に彼は「展示会でも一緒に行こうか?」「君のスタジオで実物を見たい」 「スタジオにいつでもきてね」と盛んにいってきて、売れっ子の彼が逆に僕に会いたそうだった。

 

アート作品を売るということにまた考える機会をもらえた。

 

売るべきなのか?売らないべきなのか? 

 

そこで彼にこういった

 

「...抽象作品に関してはあまり売っても気分は悪くない」

 

「きっと思入れがある肖像画などが売りにくい」

 

と伝えた。

 

もちろん彼にも売れない作品はあるという。

 

ところが彼やパブで話した友人は僕の言葉に驚愕した。

 

「この作品は1億積まれてもうれない」

 

Fは

「え? 僕だったら1億出されたらどんな作品でもうるよ!家買えるじゃん、て資本主義的な答えしちゃった」

と言う。

 

どうだろう。 

 

本当に不思議に思う。 ではアーティストはなぜお金に目をくらまさなきゃいけないのか? 

 

そして彼はこうもいった。

「君がもしどんなことがあっても作品を売らないといったら、その作品はどこまでも高騰するだろう」

と。僕もそれはそう思う。

 

「そして売らない、というアートは、一種のパフォーマティブな、アートだ」

と彼は付け加えた。

 

モナリザも顔負けの最高のマスターピースを制作して、

 

「100億円だされても絶対売りません」

 

をやってみたい。