水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

男女混合車両にむりやり入れさせられた⑥

痴漢

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筆者。防御力0の頃

見ず知らずの人にいきなり多くの人の前で「触ろう」とおもう感覚はいったい何なのだろうか?

 

小さい頃の事を思い出したが、痴漢される側に男性が少ないのは

 

性的欲望とか対象とかとりあえず置いておくと

 

社会的弱者に降りかかる「災難」であると思う。

 

というのは女性、子供がか弱かったり、純粋だったりとか、社会的にはそう位置づけされている。

 

いじめもまた弱い相手にする。強い相手にしない。

 

大声を出したり、ヒステリーだったり、暴力をふるう人達は、この「いじめの現代社会に」いじめられないように対策を立てているのだと思う。

 

痴漢も弱い相手にする。 強そうなお姉さんにはしない。

 

全ての人間が加害者になりえり、被害者にも成り得る。

 

だから自分自身であるということは

社会の中で必然なのである。

 

ぶれるといじめるか、いじめられる側になってしまう。

 

別の視点でみてみる

 

性欲的なところではない、スリルを味わいたい、会社ではやり遂げてないミッションをクリアして電車の中にいる人に称賛されたい。

 

いや、誰にも気づかれずにやれることが、自分への向上心アップにつながるのではないか?

 

女性にふれたこともなく、恋愛もまともにできずに結婚してしまった不快感の中、目の前にというより、すでに触れている女性の体をおしつけられることで、これは!触って、と言っているのではないか? と勘違いする。

 

男性性というものを爆発させ自らの自信に繋げなくてはいけないのではなかろうか!

 

これは善である。 これはわたしの存在価値を認める絶好のチャンスである!と勘違いするのかもしれない。

 

いままで感じたことも無い女性の体が押し付けられる事でおかしくなってしまうのではなかろうか?