英国は感染数が世界で3位に。
9週間も部屋に閉じこもっているのにどこで感染しているのか…マスク装着が強要されていないのが原因ではないかと。手もあわらないし。イギリス人。
外出禁止が入院していたころを思い出す。入院のブログを書いたから世界中がロックダウンになったのかも。そうだったらすみません。
病院での断食(たべたらいけない病気だったので)がおわり、離乳食がやっとはじまる。すこしずつ食べるように言われる。
断食終了後の回復食というやつである。
まわりの子供たちはいつもご飯をたべていて、デザートなんかもでちゃって羨ましかった。
食事の時間になると、大きな車輪のついたカートで食事を運んでくる。
6人分の食事が一気にくるので匂いが強い。
1人だけ食べれないでただ彼らが食べ終わるのを待たなければいけないのは、苦行をしているような気がした。そんな日が数週間も続いた。記憶にはないが2-3週間くらいだっただろうか。お腹の異常が回復するまで何も食べれなかったのだ。
起き上がるものつらかったので、友達もできなかった。ただずっと寝て食べることもできず、点滴に栄養を頂いていた。
回復食もまたつらかった記憶がある。 いつになったらちゃんと食べれるのか。
またこの病気は食べるとお腹が痛くなる。
だから痛いといったら、食事はとりさげられるし、食べるのも恐怖だった。
痛いのは急に食べたから痛いのか、病気のせいなのか、これから一生ご飯は食べれないのか、経験の少ない僕にはわからなかった。
なんだか蛍の墓の節子になった気分である(そのときあの映画はみてなかったけど)
ここに一生閉じ込められるのかな?と思っていたが、ご飯が少しずつ食べれるようになり、多少の回復が感じられて、そうでもなさそうだと感じてすこし安心した。
病院の先生や看護婦はなにも言わないしただせかせかと動き回っているだけ。大人というのは恐い存在だ。僕が子供だから相手をしてくれないのだろうか? 大人同士でもこんな冷たいのだろうか?
それとも待合室では仲良く酒盛りでもしてるのだろうか?
そんな想像ばかりしていた。
子供は大抵
「一生このままではないのか?」
という恐怖のなかで生きている。
だから急に泣き出したりするのかと思う。
買い物に行って、母親に会えず泣くのも。
「一生彼女に会えないかもしれない?」
すべてのものが変化しうることに恐怖を
感じるのかもしれない。
いま外出ができない私たちも
ずっとこのままかもしれない、そうしたらこうなり、こんなこともありうる。どうしよう?
と恐怖が膨れていってしまうものだ。