水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

体の傷とは一体私たちにどんな影響を与えるのか?

心の傷と体の傷

f:id:SatoshiDate:20210814030215j:plain

Artwork by Satoshi Dáte

唇の腫瘍が地球の回転数と比例して徐々に大きくなった。

知らない土地で病気になるというのは不安である。だからみんな日本人の医者をノックしてしまうのでしょう。

 

不安だからこそ不安のとびらを開いたほうがいいと思う。

 

なんというかそういった物理的な扉には抽象世界的な扉が開かれるような気もする。 あらたなる人生というか。

 

たかが小さい病気こんなにも叩きのめされている自分がいたと思うとお恥ずかしいですが。人はそんなものだとおもう。 一度も町を出たこと無いご老人をジャングルの真ん中にひとりおいてけぼりにしたら、誰でもパニックにはなるだろう。 知らないところで知らない事がおきると不安になるのは動物も一緒だと思う。

 

またおなじGP(ジェネラルプラクティス、日本でいうローカルのお医者さんのこと)に訪問したら、本来そこで勤めている女医さんがあらわれる。

「What can I do for you?」 (どうしました?)

僕はこのWhat can I do for you?が好きだ。 なんでもしてあげますよ。とアラジンの魔法のランプに出てくる魔人がいうセリフのようだ。

けれど少し冷たくも聞こえる。

 

彼女はじっと僕の腫瘍をみて。

「これは大きすぎるわね。あなたが診たGPは器具で焼こうとしたみたいだけど、もうあれから結構経ったから大きくなったのね。 こうなったら手術するしかないわ」

といわれて僕はショックを受けた。

 

「It won’t be a problem but scar may be remained.」

 

僕はScarという単語がわからないので、なんども聞くと。

 

彼女は腕を何の恥もなく捲り上げて自分の逞しい二の腕にある大きな傷をみせた。

 

そして彼女は僕の顔にある傷を覗き込むようにみつめ、

「その傷ほど目立ちはしないと思うけど?」

とリラックスした表情でいう。

医者と会話するときはいつもこのギャップを感じる。 人間的ギャップ。

 

それはこちらがパニックになっているのに向こうは至って冷静なのだ。むしろ冷たくも感じる。

医者は冷たいとよくいうけれど、それはこのギャップ。感情のギャップがあるからではないか。

 

医者やまたはセラピストが、患者に同情して、または共感して

「えー!そうなんですかーはー知らなかったです。それは大変ですねー」

とか

「そんな酷い事があったの、わたしも悲しいわ」と言って泣き出したりしたら、

 

彼らも疲れてしょうがない。そういうのは違う商売の人に任せたらいいのだ。

 

いやもしかしたら医者がここまでつめたいから相談役のような商売の人が儲かるのかもしれない。

 

もしかしたら、裏で繋がっているかもしれない。

 

なんども患者が驚いた顔をみて、お医者さんも冷静でいなくてはいけないと思うと、感情というものもドンドン消えていくのだろう。私生活では一体どんな感じなのだろうか。

 

顔の傷より大きくならないときいて安心と言ったら安心だが、なにか妙な感じがした。というのは自転車で地面に叩きつけられ、怪我をした傷によって、自分の体や顔への「不必要」な自信や見栄というものが消え去ってくれたにもかかわらず。

 

一体このときの僕は何に不安をかんじていたのか。

 

傷がまた増えることで一体私になにが問題となるのだろうか?

 

体の傷とはあなたにとってどんな意味がありますか?

 

顔に出来たときは? 体に出来たときは?