水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

人は自分が気にするほどあなたのことを見ていない。

私の鼻はまっすぐである 

我王 by Osamu Tezuka 手塚治虫

「傷は残らなかったな」

 

チョーが本当に何でもないかのように、僕の手術のあとを見て、そう言ってくれた。

 

でも僕の顔にできた傷は結果残った。

 

僕は前に顔にできた傷も気にしていた。

 

体に「傷」ができたことで、僕は自分の自己嫌悪感、ナルシスト感がなくなった。

RadioheadのThom Yorkeもそうであったように、自己嫌悪とナルシストは紙一重なのだ。

 

肉体のことばかり気にするから僕らは自信をもてない。 内側からこみ上げてくる美を信じられない。

 

傷ができたことをやっと気にしなくなったと思ったのに、また気になりだした。そのときのトラウマがまたやってきたのかも知れない。

 

傷ができたことに僕は、苦しんだ。

 

Surface Surgery 形成外科? たるところにもどり、ある医者に会う。

 

彼の言葉は未だに記憶に残っている。

 

「僕がこの傷を綺麗にする事はできる、でもそんなことをする必要があるかな?」

 

そして彼は僕をじっと見つめる。 医者ではないように感じた。

 

「僕の鼻をみなさい」

 

と穏やかな男性外科医は言う。

 

なにを言いたいのか僕はわからない。

 

古い病院で、窓の光りが彼の後ろから照らされて、余計に彼が普通の人間でないように感じる。

 

「僕の鼻はまっすぐかな?」

 

と僕に自信を持って問う。

 

暫く僕はちゅうちょして、鼻をよくみてみたけどまっすぐだった。

 

「まっすぐですが?」

 

と僕が答えると。

 

“No, it isn’t straight”

「いや、まっすぐじゃないよ」

 

と落ち着いて答える。

「わかるかい、人は他人の事なんてそんなに気にしてないんだよ」

 

と言ってくれた。

 

後に僕が日本に帰国したとき、やはり傷が気になって日本の整形外科に行った。

僕はイギリスのお医者さんが、治せるけどする必要がないと言われて、納得したくせに、「日本だったら技術がいいし、きっと綺麗に直してくれるだろう」と勝手に信じていたのだ。

 

僕はそこであった日本の医者には

 

「そのお医者さんがどれだけ自信があるのかしらないけれど、傷っていうものは、傷でしかない。君の傷に点数をつけるなら99点だ。」

 

と軽くあしらわれた様だ。 普通に考えてみればそうである。傷というものは傷ができるときに処理しなければそのまま残るのだろう。

 

車の傷ではないし。

 

いや今の技術では綺麗にする事はできるのかもしれない。でも僕はそれを調べようとも思わない。 なぜならそんなこと何も気にしなくなったからだ。 

 

イギリスで会ったお医者さんの言葉は

 

深く僕のこころに突き刺さった。

 

今になっていろいろなことが自分で勝手に悪いことを作り出していることをわかってきたけれど。 この頃はほんの少ししか感じていなかった。

 

誰しもがいう言葉、みんなも「そうだよね」という言葉や考え。沢山あるけれど、

 

その言葉の意味を経験しなければ人は理解しないのだと思う。

 

顔の形がどうだとか、傷がどうとか、みんなと違うことで自分は不安になる。体重だって、腰周りだって、二の腕だって、一重だって、唇だって。

 

僕たちは自分の道を歩みながら、体も変化していく。

その変化を否定する事はできない。

 

それを変えたところで内側の「心」は変えることはできない。

 

削ったようでも、結局はキグルミを着ているようなものだ。

 

肉体の変化や、肉体の違いを感謝できるようになれば

 

きっと僕たちの内面と関係する「体の意味」というものを理解することができるだろう。