色も味わえる美味しさ
断食終了後ゆっくりとご飯をいただく。
ゆっくりとご飯を食べるので、なんだか儀式をしてるみたいです。
昔友達から聞いた話を思い出しました。
その友人は子供のころ父親が厳しく、食べるときは一切無言で食べろといわれていたそうです。
テレビはもちろん、会話もしてはいけません。
なのでシーンとしたなかで、家族全員ただ黙々と食べるのです。
不気味といえば不気味ですが、別の機会で家族としゃべることができるのなら、よいかなと。 行儀が悪い?からと友人のお父さんは思ったのでしょうか?
まあそれはやりすぎかとは思いますが、生きたものを食べているときにテレビをみたり、しゃべりながら食べるというのはある意味で食べている生命に失礼といえば失礼。
「いただきます」 という言葉があるように。食べるという事は神聖な儀式なのだなと実感しました。
何か別のことをしながら食べると、なにを食べているのかわかりませんし、もはや口に入れるものは何でもいいような気がします。
断食の後の野菜の味は言葉で表せないほど美味しかったです。細胞の中の細胞まであじあう感じ。
にんじんだったら、オレンジの色まで感じてしまうよう。
集中して、かみ締め、味わうと、新しい発見があります。
はじめて何かを口にしたような。体内にエネルギーを入れる、生命をシェアする感動を感じます。
宗教で断食やラマダンがあるのもこういった理由からきているのかと思います。
健康にもよいし、精神集中にも、修行のためにも、いろいろと学ばされる断食でした。
断食中も水自体がごはんのようにも感じました。
普段何気なくいただいているものに、私達は感謝しないといけないのだなと痛感しました。
その後僕は、もっと食べたい、もっと食べたいと思いました。
これはただ減ったおなかに何かをフォアグラのように詰め込みたいというよりかは、
もっと「味わいたい」という願望でした。
夜寝る前は朝ごはんが楽しみになった。
舌や喉が胃が、体全体がエネルギーを吸収するということをもっと感じたいという欲求にも感じられます。
また人間の欲求はとてもスピリチャルである気がします。
純粋な欲望は生命の循環であるわけです。
また人間だけが意識をしてゆっくりと食べることができる。食べることにも美を与えることができます。
お肉をより食べたいと思わなくなり、シンプルな味付けでも美味しく感じるようになりました。
体重はとっても減りましたが、これから体力をすこしずつつけていこうと思います。