英語以前の問題
大通りに進むにつれてゆっくりと溝に落ちていく感じがした。
小さい頃母親のそばにいないと不安ばかり感じていた。そんなことは全然感じなくなった自分が、またなにかに引きずられるように今まで「大丈夫」だった自分が見せかけの自分だったかの様に、「勘違い」していたような気がしてならなかった。
本来の現実は本当はこうで、愚かな自分を体の中から現れたもう一人の黒い自分があざけ笑ってるように思えた。自分の中から湧き出るどうしようもない苦しみが切っても切れない黒い自分が常に痛めつけてくる気がした。
目に見えるものも、聞えるものも、におうものもすべてが違う。
嗅覚から感じられる刺激は、予想もしていなかったし、避けれるものではなかった。 敏感な僕は昔グァムに小さい頃家族と旅行したとき、口にするものを受け入れられなかった。 ミルクもオレンジジュースも飲めるものではなかった。
はたしてこれは今でも皆さんが感じることだろうか? グローバリズムが進んで、見るものデザインと同じように、味覚で感じる食べ物までも似てきているのではないだろうか?
世の中が一つになり、お互いを理解しやすくなることは良いことだけれども、異なった環境で異なった考え方の中でわかちあえる世の中のほうが、人にとって挑戦的でより鍛錬できる環境だと思う。
ヒロシさんと何気なく向かうレストラン。淡々と歩く彼と、ぼくの心境は明らかにちがった。 彼が一体どういう風に過ごしているのか、またどうやってこの土地で生きるすべを養ったのか、そんな問いを自分にする余裕なんてなかった。
こんな環境では生活できるわけがない。
そう思った。