水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

数学の先生 ③


私立と公立の幼稚園どっちがいいか聞かれたら? 

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筆者、真ん中。なんかかぶらされた。

幼稚園に行くときに母親に

 

「私立に行きたい?公立に行きたい?」

 

と聞かれたのをおぼえているが、そんなもの知るわけない。 いや知っていたら恐い。

それに両親だってどんな人生になるかなんかわからないわけだ!

いま僕がこうしてイギリス留学を経て、イギリスに住んでる何て彼らは予測しただろうか?

たぶん、私立に行けば後が楽、でも近所に友達はできない。というようなことは言ったかもしれない。 でもそうしたら近所にいる渡邉綾ちゃんとわかればなれになってしまう。(だれだそれは!) 女の子のことしか頭になかった。 それ以外はどうでもよかった。

なんにしても僕は公立に生きたかったかもしれないがいつのまにか自分のBODYは私立の幼稚園にあり。

 

むりやり牛乳を飲まされていた。

 

からだが人一倍に小さいのに、帰りに無理やり牛乳ヒト瓶飲まないと帰らせてくれないのだ。

 

ぼくは共産主義の国に生まれて本当によかった...とポスターを描かされるのかと思ったくらいだ。(その時は思ってないけど。)

 

また話は現実の世界にもどるが。あれは本当にいやだった!

 

みんながじーーーーーーーーーーーーーーとみるのである。円のように席を作って座るからみんな僕の方をみる。 

 

ミルク一瓶である。 ぼくよりも瓶の方が大きい。

余談だけれど、そのころ母親があまりにも僕が食べ物を食べないので心配がっていた。

 

ラーメン屋にいって、小さい器をもらって母親にわけてもらうが、一口二口で

 

「もう...いい...」

といってずずずっと 母親の方へお椀をよせるのであった。それで母は泣きそうになって、

 

「もっと食べれるでしょ...」

と笑顔でご機嫌を良くさせようと頑張る。 この時母はなぜかヒステリーじゃない...

 

泣ける話である。 おなかがいいっぱいなのだからしょうがない。 

 

ということで、そんな僕だったので、牛乳なんて一口以上飲めない。

しかもいまは牛乳アレルギー(この時のせいかも)だし、

ビーガン思考なので、飲みたいと思わない。

 

あのとき言えばよかった。

 

「すみません、先生ぼくビーガンなんで」

 

「ビ、ビーガン?」

 

イギリスではきっといただろう。ヒッピーもいたくらいだから。でも日本全国ビーガンを知ってる人はその当時誰もいなかっただろう。

 

いまでも日本人は知らないというのに。

 

例え僕が未来のお告げから牛乳は飲むなといわれたとその場で行っても、2人の男性と女性の先生は僕を羽交い絞めにして、皆で無理やり牛乳を飲まそうとしただろう。

 

(実際には毎日僕が一番最後になるのが嫌だったので、ルールを破って(ルールがあったかどうか覚えてないけど、とりあえず後ろめたかった)早めに蓋を開けてちびちび飲んでなんとか早く飲めるようにした)。 それにしても皆が同じものを飲んで飲み切らないと返ってはいけないとは虐待に近い。

 

夢にまた戻る。

 

この世界に完全に閉じ込められてしまった。

 

絵の練習なんてごまんとしたからもうしたくないのに。 

 

しなきゃいけないこの世界。 でもやらないと

 

僕は成長することも、次の段階に行くこともできない。 その次の段階というのはいつなんだろう? 凍りつくような恐怖感がこみ上げてきた。

 

僕は初級クラスを受けていたけど、上級クラスを受けることにした。

 

多くの縛りの中でまた生きなければいけないことに絶望した。

 

僕は高校を卒業するギリギリだった。絵ばかり書いて、楽器ばかり弾いて。成績のことなんて気にしていなかった。単位をできるだけ減らして、何もない時は図書館で寝ていた。

 

寝すぎて授業結果的にサボってしまったことがあった。

 

出席日数が足りずに上に上がれないかもしれないっていうこともあった。

 

こうしなきゃいけないっていう世界に完全にはまり込んでいることに僕は気づいた。

 

幼稚園から始まって小学校もそう。こうしなきゃいけないという枠組みの中に私たちはいつのまにか生まれながら、騙されて、洗脳されて入り込んでいる。

 

今日はなにか夢から学ばさせてもらった。