水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

ゲイのみがファッションデザイナーになれる

ゲイとストレートの喧嘩

Photographed by Satoshi Dáte

ヨウタのうちに時々僕は遊びに行った。ファッションデザイナーになる同じ志をしている彼とは話が合った。彼はものしずかで、一緒にいて気が楽だった。 

僕が「ゲイ」なのではないか?という考えは一度も彼と一緒にいてよぎらなかった。

 

綺麗な新築の学生寮の窓際で彼はこんなことを言った時がある。

 

「ゲイのほうがストレートより、優秀なファッションデザイナーになれる」

 

この言葉はショックであった。

僕はその時(今でも)、ゲイではなかったためなにか大きな壁を感じた。

 

友達の一人が言っているだけだったけれど、ゲイの彼、そして信頼する彼が言う言葉を鵜呑みにしてしまった。

 

彼はこう続ける

 

「ゲイの方が女性の気持ちをわかる、だから婦人服をデザインするときに女性の気持ちでデザインできるから」

 

たしかにゲイのファッションデザイナーは多い。でもそうでないひとも沢山いる。(沢山はいないか)

 

そこですこしばかり言い争いになりそうだったけれど、お互い静かなので、争いなく静かに終わった。

 

ただ二人ともなにか気が治まらないもやもやで会話が終了してしまった。

 

彼はこのとき

「僕は両親に自分がゲイであることを言えてない。」

となにかからだの上に重いものをしょっているかのように目をそらして僕に告白した。

 

僕にしてみればなぜ話さないのだろうと、不思議におもった。

日本では社会的抑圧が強すぎるのだろうと一人で納得する。

 

自分がもしゲイであったら?

 

彼は日本のテレビでゲイをネタにふざけたり、中傷することがひどく嫌だった。

 

僕があのスリランカ人のホストの家に泊まったとき、ホストは僕の歩き方をみて笑ったことがあった。

 

「お前はゲイか?」としなりしなりと僕の歩き方をまねて歩いた。

 

良く僕のしぐさが女性っぽいと言われる。

気にもしてないし、特にそうしようとも思っていなかった。

 

ヨウタはひじにハンドバックを抱え、しなりしなりと歩く。

 

ゲイっぽいとはなんなのか? 歩き方やしぐさは女性が回りにいるから? お姉さんや妹が家族にいるから? 女性的に振舞いたいから? 男性的に振舞いたくないから? それともホルモンがそうさせるから?

 

興味深いことに、日本人ゲイはよりゲイらしく振舞う。 だから、日本ではわかりやすいけど、イギリスでは見分けがつかない。

 

と思ったけれどその考えは逆転した。 ゲイな喋り方をする人はなれると英語だとすぐわかる。

 

ところが日本では隠れゲイたるひとがいるらしく、喋り方もしぐさも、非常にストレートである。 

 

これも社会的抑圧のせいか…

 

そもそもなんでみわけなくてはいけないのか?

 

今では「あのゲイの」だれだれということはとても差別的に聞こえる。

 

ロンドンでそんな言い方をしたら皆に軽蔑されるだろう。

 

人は人をBoxにいれたがる。自分とは違うと。そういって自分が違うと信じることで、「自分」を確立する。 そうすれば安心。でもそれは自分を制限し、自分自らBoxに入り込んでいるのと一緒だ。

 

ヨウタの言葉は自分を守るために言っている様にも聞こえた。自分は選ばれた人間である。ストレートの人間に負けてたまるかと。

 

全てのものは流動するような波のようなものでお互い分かち合うことが出来れば壁も出来ず、またそれによって自分も閉ざされた空間にいないでいい。

 

そんな単純なことだけど、皆が皆必死で壁を作り、「君は私と違う」といい続けている。 そんな世の中はもう終わりにしよう。