Shyなイギリス人と日本人
大きい声で、張り裂けそうな声で歌いたいけど。
声が出ない。みんなに笑われるから、みんなに馬鹿にされるから。
Shyである、恥ずかしいのは多少の個人さはあっても、ほとんどは環境によって作られるのではないだろうか?
日本人もイギリス人もシャイだと伝えたし、それは言い訳とまでも言ったけど。
結局なところは環境が私たちを作りだしている。
僕らの血がたまたまShyなわけではない。
でもイギリスはもっとましである。 個人を尊重するからだ。
イギリスでは国公立高校に通っている、所謂日本でいう、教養のない人達であっても、自分を確かに持っている。 深いことを考え討論ができる。政治の話だって、哲学だって心理学だってできる。
日本人は(若くない人も)集まると浅はかな話ばかりで、難しい話をすると煙たい顔をする。
要するに真実を知りたくないのだ。
だからアニメが蔓延しゲームが蔓延し、どこへ行っても携帯電話をいじっているのである。
Shyからなる、表現を許さない社会は現実逃避の道に進む。
自分を見出すことができればそんな風にはならない。 若いうちから自分を見つめるような仕組みがあれば、 自殺も精神的な病を抱える人もどんどん少なくなるであろう。
人前で歌うことができないなら、その人の環境を整えてあげることだ、何故世の中は「こうだからこう」という形式を作りだすのだろうか?そこに当てはまらないものはすべて「悪」とし排除し続ける。