水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

何故一定の人達のみ成功できる仕組みなのか?

全員Shyならそれでいいのではないか? 

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日本人の殆どがShyである。

それは世界、全宇宙周知の事実である。日本人でスピーチがうまい人を聞いたことがあるだろうか?日本人の著名人がイタリア人にハグして、キスを何回もしてMIO AMICO!(私の友人)と叫んだ記憶が皆さんにあるだろうか?

だったらそれを認めてShyな人達にもう少し寛容でいてもいいのではないだろうか?

なんでこう、表現したいけどできない人を押しつぶす世の中なのだろうか? 

 

これは例えていえば、ぼくがオーディション会場にいって。

 

「はい、3番の方どうぞ。」

 

といわれて

 

僕がステージ上に出て

 

「...」

 

と数秒声が出なかっただけで

 

 「はいだめーーーーーーーー。次の方どうぞ」

 

とやってるのと同じである。

 

そもそも、前の

satoshidate.hatenablog.com

であったように。

 

 

東京芸術大学と言う日本最大の名門に合格できず。

これから話す世界的有名な名門セント・マーチンズに数年後合格できてしまう本末転倒な仕組みをいい加減にやめたらいいのだ。 その時でも、今でも日本のどこの美大に受験しても僕は合格しないと断言できる。 なぜなら彼らに本当の素質を見る判断能力がないと思うからだ。

 

そして優秀な人たちは、芸術家だけでなくとも海外に流出して日本国は沈没していくのである。

 

またこういう話をすると。日本の悪口ばかりというかもしれないが。事実をいってるだけで、悪口でないのだ...日本に沢山良いことがあるのは知ってる。 そこでいろいろアタックしてくる人たちはまるで「子供」である。 悪い事を言われたらひねくれるのである。 社会がそうだから人間もそうで、社会が幼稚化していくのだ。

 

話を戻して...

皆がシャイなら、そのままでいい。だからロックメンバー全員がシャイならステージに出なくてもいいではないか!

 

ステージ裏で演奏するロックバンド。

 

絶対に今までいないはずだ。

 

ロックはそもそも自分を表現したい。カッコつけたい!ものであるから、この考えは相反するようだけど、表現をしたいという事には変わりない。

 

僕は小さい頃思ったかもしれない。

 

表現をしたい人の中でなぜステージ上だとか、テレビとか、映画とか、Youtubeだとかで顔を出して勇気を出したもの(もしくはShyでない人)のみ脚光を浴びれるのか??

 

もちろんPRもなにもしないで日の目に出た人もいる。だけど王道は、ロックで言うとステージに上がって、

 

「みんなーーーーーーーーもりあがってるかーい!」

 

みたいなこと恥ずかしいことを言って。人に無理やりでも注目を浴びさせて、這い上がっていかなくてはいけないのである。 要するに目立ちたがり屋でなければ上に上がらないのだ。

そんな世の中おかしくないだろうか?

 

とはいっても。Cat Powerというソロバンドがありまして。 彼女のデビュー当時はShy過ぎて途中でコンサートを中止するという、わけのわからないパフォーマンスをしていた。

 

Cat Power / Cross bones style

youtu.be

 

髪の毛の前髪が目を覆い隠して、スポットライトからわざとずれたところで歌う。

 

歌いだして、嫌気がさして、別の曲を歌う。

 

もう恥ずかしいから(嫌になったから?)演奏30分くらいで帰ってしまう。

 

あれはわざとなのか... ほんとにシャイなのか。 よくわかりません。

 

ちなみにこのCat Powerは一人バンドでChan Marshallと言う女性のソロプロジェクト。僕は完全に恋に落ちまして。ロンドンで2回ライブを見ることに。

そのとき僕のデモCDを受け取ってくれました。

ぺこりとお辞儀をしてくれて可愛かったです。

いったい何人にぼくはデモテープを渡しているのでしょう。

 

実はこの

 

表現したいけどできない

 

気持ちは実に大事なのです。

 

さてなぜこの話をしてるかと言うとそれから5年以上経過し、人前で始めて歌うことになる話をしたいからです。

 

エピソードは続く