日本人といるのが苦痛だった。
日本人とおもわれたくないなら日本人をやめればいいのだ
日本人だと僕は今は思っていない。このころは思っていた。所詮そんなものは枠付けでしかない。たまたま日本に生まれただけで日本人だとレッテルをはられるのは不愉快である。
そのせいでぼくは語学学校で日本人となぜかつるまなくてはいけなかった。
「日本人ですよね?」ということばには耳にたこができるほどだった。
ボストン編で話したように、ぼくも来たてのときは日本人に飢えていた。
しかしこれは外国と僕らがよぶ、外国と日本の壁である。
これを超えないといつまでたってもあなたは
「日本人」
なのだ。
日本で生まれたら、日本に長く住んでいたら。日本人なのか?
日本で生まれたんだから、日本人の両親がいるんだから、日本に住んでたんだから
「お前は当然日本人だろ!」
とだれもが僕に言うだろう。
こうして日本語を話しているのだから。
…
これはお前はユダヤ人か?と聞いているのと似ている。
日本に生まれても日本人で無い人は沢山いる。
日本に住んでいたって永遠に日本人になれない人もいる。
両親が日本人だって日本人じゃない人だっている(海外で生まれたり、長い人など)
結局のところ
あなた自身も日本人であるかどうかなんて危ういのである。
日本国という国にすんでなんとなく日本人でありそうだから、そのほうが都合がよくて、みんななかよくできるから日本人ていうことにしておきましょうという
あくまで!同意で貴方は日本人なのだ。
ぼくがボストンで「日本人ですか?」と聞いたのは。
欧米人に囲まれ、英語ではなしかけられ、わけがわからんくて、ノイローゼになって、藁をもつかむおもいで、日本語や日本人、いわゆる今までいた安全な場所に戻りたいために話しかけたのだ。
多くの留学生やましてや永住者もここから出れてない人がいる。
壁を越えてしまったら、逆に楽なのである。
「イギリスの地で永住するために、夢をかなえるためにここに来た、絶対かなえてやる!」
と思ってきたのに
いきなり日本人とつるんでいては、説得力もない。
僕は留学する前から絶対に日本人とつるまない!と考えていた。
ボストンでの苦い経験から、またそこから脱却しつつある自分がいたから。僕は弱い自分でいたくなかった。
ところがどこへ行っても、日本人がいると。
「日本人ですか?」 「日本人でしょ?」ときいてきて、
日本人であったらこうこうこうである!
と行ってくるのだ。
今回のは
「お前が日本人であるなら、帰りは一緒にかえるし、土日は一緒に遊ぶのだ」という感じであった。
これは僕が中学のときでもわかる おおきな クェッションマークである。
残念なことに、英語でどこでも話をしている友達ですら、このわけのわからない会合についていってたので、しょうがなく何回かついていってしまった。
これは苦痛である。
そしてほとんどのそこにいる連中は僕のことをひどく嫌悪しているのが肌で感じた。
隙があったらいじめてやりたい。
と願ってるに決まっているのだ。
英語でいつもしゃべってくれる日本人も日本語でしゃべってみてるのも嫌だった。
「ああこんなしゃべり方をするんだ。」 と。
なんだか、彼らも日本人は一緒にいようねグループの中にいるようで、なにか僕が騙されてしょうがなく付き合っているかわいそうな「僕」のように思えてさらに嫌気がした。
「もうーここには来たくない」
と思ってた。
小さい頃みんなも考えるあれである
「こんな連中じゃなくて、私はもっとかっこいいクールな人と付き合うんだ」
そういうひねくれ?向上心?が若い人達を暴走族や不良の仲間入りするのではなかろうか?
ただ何となくそれとは違う感じがした。
見せ掛けではなく心のそこからそう願い、殻をやぶりたかった。
とにかく僕は自分の世界にいたかった。
でもそれは一人ではなくて、自分の世界を理解してくれる同志が欲しかった。