水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

川崎殺傷事件。ニュースを観るという無駄な時間⑤ - 思想

結論として

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ニュースはみないほうがいい。みても時間の無駄である。みて感情が左右されるのなら観ないほうがいい。ああなるほどでいいのだ

「ふむ、そういう事が起きたか」

 

と怒りも悲しみも感じないでいる。

 

あまりにも非人間的だと誰かは言うかもしれない。

 

さてそうだろうか?

 

感情に左右されるということは相手より弱い事をしめす

 

そしてそれによって「彼ら」のいいなりになっているのだ。

 

かわいそうな目にあったひとにもかわいそうな事をする人にも

 

負けているのだ

 

負けているというのはつまり、それに左右されて自分を見失っているのだ。

 

歴史はそればかり繰り返す。 生産性がないことであれば、情報として得る必要がない。

 

同じことを何度も何度も繰り返しているだけだ。物の本質がわからないニュースばかりだし、あれだけ騒がれた、新興宗教の事件だって、結局何だったかよくわからない。

 

殆どの人には恐怖を与えて、まだ恐怖はこころの中に留まる。

 

そのニュースを知って、人と話す話題を作る以外なにか社会にプラスになったのだろうか。

 

大事なことはニュースのいいなりにならないことだ。

 

ニュースをみつづけることで

 

喜んだり悲しかったり

 

まったく忙しい現代人である

 

極端な話をいうと...

 

経済をみないと...社会情勢をみないと...

 

そんなことを観る必要があるだろうか?

 

ここ数千年の歴史を観て

 

右へ左へと人は狼狽しているだけで大きな変化は特にない。

 

大抵はゴシップ的に人と話す話題だったり、自分の人生と重ねて考えない。

 

大きな歴史の中での小さな出来事にすぎない。

 

それなら歴史書を読んだほうが良い。

 

でもその話題も結局は先が見えない、ただその場しのぎの会話にしかすぎない。

 

トランプがさ... Brexitがさ... Euの選挙が 

 

大きく世の中の動きを観て、なにが起きて何が真実か知っている人は

 

そういう細かいことはあまりどうでもいいのだ

 

特に普段生活をしている人はほとんど知っても意味がない。

 

感情に左右されるのであれば

 

自分に集中したらいい。無駄な情報は省いて、感情に左右されない自分をまず作る事だ。

 

そうすると真実が見えてくる。

 

どんな大きな事件も

 

 

ああなるほどと思えるようになれば

 

みればいい

 

そして哲学すればいい。 それが世の中に効果があると信じられる自信があるのであれば

 

それまでは自分の欲望でニュースを観て、こころを相手に奪われるだけである

 

悪魔は自分の心の中にあるから

 

 

平穏をつくること

 

ニュースもテレビも他人の行事は自分が大人になるまで観る必要はない。

 

 

まわりをみてみたらわかる。ただ左に行ったり右に行ったりおどらされているだけである。

 

 

自分の使命と言うものが何か考えることが先だと思う。