水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

子供は恐怖心で記憶を失う - 心理学

どんな習い事したいのか

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                         写真:Satoshi Dáte

習い事はどれも好きではなかった。何をやったかな。ピアノ。そこには手塚治虫のブラックジャックの単行本が置いてあって、ただそれを読みたいがために行っていたみたいなものだった。 母親に言われいやいや行っていた。

「またやめちゃうの!?」と叫び怒鳴られるのが恐く。

 

みんなも経験があると思いますが、ピアノの先生の家ってなんか西洋的で日本ぽくないんですよね?

 

西洋的な匂い(?)がすごいして香水なのかなんなのか。先生まで西洋人なんじゃないかって勘違いするくらい。服装もなんか他の人と違うし。

 

西洋が大好きだからそんな家に住んでいるのかもしれない。昔から先生というものは何なのかよくわかってなかった。先生っていったい何なんだろう。

 

母親にヴァイオリンを教わったことがあった。母親が先生である。

 

母親はすごいヒステリーだったので、ほとんどその時の恐怖のおかげで叫ばれ、理不尽に怒鳴られた記憶が飛んでいる。 

 

そう

 

子供は恐すぎると自分を守るために恐怖の記憶を消すのだ。

 

最近知った事。子供は恐怖によって起きたことを記憶から消すらしい。最近になっていろいろ記憶が蘇ってきた。

 

参考>

記憶を消す子供たち

 

レノア・テア著

 

> 本当の先生とは

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彼女の楽器ではない、「ピアノ」を教えてもらう時もかなりひどいものだった。

 

先生というものは怒鳴るものなのか、恐怖を与えるものなのか?

 

学校の先生はそんなに恐くない。じゃあ先生という職業はなんなのか。

 

母親は先生なのか何なのかよくわからない。よく泣きながら弾いてたような気が記憶がある。

 

泣かせて、悪い気持ちを感じないのだろうか、なんかこれを書いててセルフ・セラピーというかセルフ分析な感じがしてきた。

 

そう泣かせて、彼女は悪いような顔をしなかった。

 

むしろ、泣いたのは僕のせいで、泣いたことによりさらに腹を立てて、自分が悪いと思うこと以上に僕のせいにするのだった。 だから彼女は常に正しくなる。

 

「なんでできないの?」

 

「なんど教えたらわかるの?」

 

それを教えるのが先生なのかと思うが。

 

だから教わるということは

 

何か苦しいことで悲しいこと

 

で、それに耐え抜いた人が何かを得るのだろうという考えがあった。

 

他の先生や母親はもっと厳しいと僕の母に聞いていたので。

 

「恐ろしい世界に舞い降りてきてしまった」

と小さいさとしはしみじみ思うのであった。

 

「さてこの世界をどうやって抜け出すか」

 

そう。抜け出し方があるはずだ。

 

この世界から脱却方法。「より良い世界を自分で作っちゃえばいい」

だから僕は一人で遊ぶのが好きだったし、

 

寝転びながら、物語を作るのもすきだった

 

西洋のものに憧れたのも、知らない世界に興味があった

 

「自分の世界に満足していなかったから」

 

「自分の世界を作った」

 

ある意味で創造性がある人達は

 

そこからきているのかもしれない

 

「もっと良い世界を創造したい」

 

 

母親は好きだけど

 

僕はいつかここを抜け出して自分の世界を作らないと行けない。

 

それは恐いことだけれど

 

出来ることだとは信じれた

 

無理やり通わされたピアノはもちろん練習もせず、何が面白いのかもわからずだ。母親も何度も自信をなくすようなことを言ってきた記憶がある。 

 

ピアノの先生は全然僕は好きではなかった。 だから伸びなかったんだと思う。

 

待ち時間に読める漫画のブラックジャックの方が熱中して漫画家になりながら医者になりたいと思った。

医者の情熱な話のほうが、つまらない練習曲の音より感動的だった。

 

母は一度も

「練習をすればうまくなる」とか

 

「この美しい曲が弾けたら…」

とか僕にモチベーションを上げる教え方は一切しなかった。

 

もちろん素晴らしい芸術や音楽を紹介してくれた事に感謝はしている。母はそれだけしてくれればよかったのだ。

 

僕の宮古出身の祖父も声楽家でPianoを弾けたが、彼は一切彼女を教えなかった。よい先生をつけて、なにも口出ししなかった。

 

近い親戚が教えるのはお勧めしない。彼はそれを知っていたのだ。

 

大人は

なんで習い事をしなくてはいけないかきちんと説明してくれない。それは抽象的でもいいから理解させることがいいと思う。