水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

人間力が上がれば恋はそんなにしない

恋は勘違い?

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Artwork by Satoshi Dáte

恋が勘違いという言い方をするのは

やはり、恋というものは多くの場合、「自分の勝手な想像で」好きになっている事が多い。

外見が綺麗だったり。

恋には上限がない。

 

自分とその相手と恋愛が叶うかどうかなんか関係なく心が恋をする。

 

恋の面倒なのは、内心の奥底から来ていない場合が多いのだ。

 

だからそれが勘違いの恋なのか、なんのか、目を瞑って感じてみると良い。

 

僕は訓練によりそれが、間違った勘違いの恋か、理に叶った恋か

わかるようになった。

 

 

「そんな馬鹿な...」

 

というかもしれない。

 

でもそうなのだから仕方がない。

 

 

恋は自分とその人が結ばれるとか関係なくするものである。

だから「恋」さんは誰でもいいといえばいいのだ。

 

テレビで女優を見ていて美しいと「勘違い」するとする。

その人に似たひとに恋をする。

 

ではじゃあそもそもその人を美しいとするのはなぜか?

 

人によって好みというものはあるのではないか?とあなたは言うだろう。

 

超自然的な何かが、遺伝子的な何かが、この人は美しいと思うものだ。

 

だからそれが、他人から言われたものなのか、幻想的なものなのかどうなのか?

の違いである。

 

恋が叶うという事は、ぼくはそれは所謂「恋」と違う気がする。

 

すでに二人は結ばれているので、恋ではないのだ。

 

僕が最初に恋に落ちた子は、恐ろしいほど美人で会った。ところが小学校1年生である彼女は特にそんなことはなかった、後々美人になったわけだったが、僕はなぜかそれを見極めることができた。 彼女の性格や内面が美しいと思ったことがない。

 

小学校1年生で

 

「○○ちゃんの感受性に感銘を受けました」

「○○ちゃんがピカソのゲルニカを見たときに、『わたしは戦争というものはこの絵の様に残酷だと思うのでせう』と語った事に涙した」

 

と言って内面をみて恋することは、ないと思う。

 

ともかく間違いなく僕はその人に外見で恋をした。

 

それが「内面」だと勘違いしたのかもしれない。

 

また「恋は盲目」というように、

自分の問題を棚上げにして神を作ることもある。

 

信仰宗教みたいのものである。

 

こう一方的に僕が話すと勘違いが生まれたりするので是非コメントに反論や意見を書いてもらいたい。 そこでまたこういった考えも発展すると願う。

 

何故カッコ悪いか

 

については、やはり自分が見えてないで、何かに没頭し、見失っている感じがかっこわるいのではなかろうか?

 

一度も恋もなく、一人で生きている人はかっこよくはないだろうか?