循環の法則
自分は世界で最も美しい人達に囲まれて生きている。と自覚することがある。
最近たてつづけに美しい人と出会いがあった。
美しいという言葉と英語のBeautifulは微妙に違うと思う。私はこの日本語の「美しい」という言葉は近代「外見的」な美しさを指すようになってきていると感じる。
外見的に美しいというより、内面と外面が留まることなく循環して見える「とらえられない」美しさを感じるときがある。
循環するエッシャーの絵のようだ。
ただエッシャーの絵と違うのはその循環する水がより鮮明に美しくなっていく。
無限に繰り返されるけど、より美しくなる。
相手を感じ、理解することによりその循環が動き出す。
これは女性だとか男性だとかそういった次元を超えた
超越した自然の中の循環を感じる。
ただその循環は同じような平凡な繰り返しではない。
私達は、なにかしらの循環、繰り返しの中で生活している。
朝起きて仕事にいって、お昼食べて、仕事して、家に帰って、ご飯を食べて、寝る。
このリズムと言うものが一定になると、慢性の病気のように。人生も生ぬるい慢性の人生になる。
だから僕やアーティストが作品を制作する過程で
作品を「壊す」作業をする。
さきほど、作品過程をビデオにしたものをみて、とんでもないことをしてる絵描きがいた。
せっかく描いた絵を全部、調和のとれていない色で塗りつぶしたりする。
生きているなかでも、こういった「破壊」や「クレイジーな行動」をすることで美しいエネルギーの循環を創りだす
それは、新しい挑戦をしたり、クリエイティブなことをしたりすること。
だからそれが生ぬるい循環から脱出でき。
美しい循環へと入り込んでいく。
その循環の中にいれば、思わぬことが起き続ける。
私が学生の時、自信がなくて、世界で一番自分は醜くて、人と会話をすることも許されないと確信していた。
だけどいまは、そんなことは思っていない。
最も美しい人たちに囲まれて生きていると確信してる。
見方を変えたり、感じ方を変えたり、バランスを変えたりしても、やってくる、美しい循環。
美しいという定義さえも、異性や同性、自然や不自然さえも変化していく。
人生そのものが『絵画』のよう。
全体を描いて、細部を描いて、間違いが気づいたら、綺麗になおす。
先に進まなかったら、壊し、また描き続ける。
フォンタナみたいに切り刻んだっていいかもしれない。
人生はキャンバス。
キャンバスの中でどんな美しい循環を描くのかは私たち次第です。