水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

食べるなんて下品な!

食べ方がわからない

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Artwork by Satoshi Dáte

こういう食欲というもの満たすっていうことがなんとも恥ずかしい。 食べてる僕を誰かが見ていると勝手に思っている。誰も見てないのに、一人で行為をしているということ自体がダサいような気がする。食欲を一人で満たそうとする心がけが非常に、なっていない。

みんながわいわいして飲んだり食べたりするのは、本来なら神聖な儀式を恥ずかしから、音を出したりなんなりして、ごまかしているのかもしれない。

 

だから僕はそとでは軽食で済ましてしまう。 僕はハンバーガーというもの頼んでみたけど皆さんハンバーガーってマクドナルドで出てくるようなものを想像してるかもしれないけど、全然ちがいます。 本場のバーガー? そこには素晴らしいハンバーガーが現れたのです。野菜がたっぷりで大きなパンで、何かサイドも付いていた。 

 

そうそうポテトですね。 いままで食べたフレンチフライのなかで一番おいしかった。 

  

多分7、8ドル払ったと思うけど、これでお腹いっぱいになれるなんて豪勢だなと思う。 もちろん恰幅のいい人がいっぱいいるアメリカな訳だから、たくさん食べるでしょう。 だから沢山でてきたのですが。 まるで巨人にあげるご飯ですね。 ハンバーガー歴史は知らないけどこういうものがもともとであって、ファーストフードのせいであんな風になってしまったのではないか?

 

ゆったりして、ゆっくり食べる。 なんとなくこういう瞬間、一人でぼーっとして日差しを眺めながら食べ物を食べて、贅沢に。 通りゆく人をみて、スケッチなんかしたりして、これを楽しむために皆さん一人で座って食べたりするのでしょうかね? そういう意味では一人で楽しむ方法を非常によくご存じなわけです。

 

そこで、ひとりでみじめにファーストフードを食べるわけでなく、しゃらりとおしゃれなカフェで一人で食べるのは、なんかそこで人の「差」というものが出るのではないか?

 

またそういう場所が沢山あればあるほど、ひとはまた深くなっていくのではなかろうか?

 

禅のカフェとかいいかもしれない。 一人でしか来ちゃいけませんみたいな。

 

ゆったりとした瞬間があるからこそ、がむしゃらに意味もなく仕事をするよりも、人生の真理というものを見出すのではないかと思う。