水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

前世の絵②

ドイツ表現主義 

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Artwork by Emil Nolde

ノルデノルデ、と思いながらぼくは間違い探しをするかのように、美術館を歩き回った。 僕は絵を前にするやいなや、飾ってある絵のタイトルを見つめる。 しかしノルデの名前を見つける必要は全くなかったのだ。

これから話していく、話はとても不思議な話が多い。と言うよりも僕は不思議な話に包まれている。もしかしたら不思議ではなくてそれが現実で不思議だと思っていない世界が不思議なのかもしれない。 僕は時空を彷徨っている気が時々する。

 

僕がある絵の前にたったとき。

 

 

0.1秒で教授が

 

「ノルデを見に行きなさい」

 

と言った意味と自分がどこからやってきたのか?どこへいくのか。 わかったような気がした。

 

僕は唖然とした。 

 

そこにある絵は僕が描いた絵だった。

 

1枚だけでなく、何枚も僕は自分の描いた絵に囲まれていた。

しかし同時に、僕が描いた記憶は一切ないのだ。すくなくても僕の体では。 絵が似てるとかそういうことではない。 似てるんじゃなくて、 僕が描いたようなのだ。 色使いだけではなく、驚いたのは筆の動かし方だった。 

 

ぼくたちにはサインというものがある。まさにそんな感じである。署名、サインは真似が難しい。なぜなら生まれて何回も何回も描き続けた筆さばきというものは到底まねできるものではないからだ。

 

もちろん全てが全て一緒ではない。だけど雰囲気の似た絵が沢山ある。

 

僕は産んだ記憶のない子供たちに囲まれて神秘的な体験をしてる気がした。

 

後にイギリス留学をはじめたころにも、ドイツ人に絵を見せたら、ノルデの絵に似てるねと言われた。

 

ノルデ展を日本で開催された時、父が中吊りをみて。さとしの絵に似てる人の展覧会やってるぞとイギリスに連絡が来ました。

 

 

似た経験といえば。やまだかまちだ。

 

彼の絵はそこまで似てないけれど、音楽をやっていたり、顔がにてたり。(と皆が言う)

 

小学生の時に似てて笑われた記憶がある。

 

不思議なことです。

 

ドイツの絵画か。と思うとなかなかぴんと来ない。ドイツは固いイメージがるから。でも絵画のような抽象的な表現と硬い考えが一緒になると良いものになるのかもしれない。日本もまたその可能性があるのかもしれない。

 

絵をまたじっくり見る。

 

これこそ

 

魂との会話

 

だと思った。

 

人はピカソが好きだとか、レンブラントが好きだとか適当なこと言うわけだけれども、それはもしかしたら、僕らの共通する集合的無意識(コレクティブアンコンシャスネス)が、自分の属性を現しているのではないかと思う。

 

絵画やアートは抽象世界の扉だと思ってる。

 

皆は何かしらのもので繋がっているんだと思う。

 

ボストン滞在7日目