水に浮かぶこころ

英国在住アーティストが綴る不思議なドキュメンタリーストーリー

デジタルには魂が宿れない①

エンターテインメントとアート 

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前々回、大衆的でわかりやすいアートについて話しました

アートを語る上で、これはアートなのだろうか?エンターテイメントなのか?どちらかわからない時あります

 

アートという言葉も魔法のようで

 

「これはアートです」といったら何でも許されてしまう。

 

「うーん。そうかー。アートなのかー」

といって納得してないけど納得してしまう。

 

理解不能なオブジェクトが目の前に現れて。

 

これがアートだといえば、神様の様に拝んでしまう。

 

不思議な現象が起きる。

 

だからアートはとても抽象的なもので掴もうとしても掴めない。

 

宗教絵画は? コンテンポラリーアートは? コンセプチャルアートは?

 

アートなのか?

壁に書かれたグラフィティはアートなのか?

プロジェクトマッピングはアートなのか?

 

それで今回はアニメーションについて語りたい。

 

ユーリ・ノルシュテインのアニメーションと ディズニーなどのCG のアニメーション何が違うのだろうか?

 

ノルシュテイン氏は酷くコンピュータグラフィックのアニメーションを好まない。なぜだろうか?

 

アーティスト性が優れていないからだろうか?

 

高畑勲がノルシュテイン氏の制作した子供のためのアニメーションを観て、

 

「子供の頃からこんな素晴らしいアニメを見られるなんて、ロシア人は羨ましい」

 

と言った

 

うんと昔は幼児番組でも手作りのものばかりだった。

 

昔のみんなのうたを見てもそうだし。

 

アニメではないけれど、ひょっこりひょうたん島みたいなものもあった

 

僕はこの、ひょっこりひょうたん島が恐くてしょうがなかった

 

頭が大きくて、手足が細くて不気味な動きをする。

 

音楽もなぜか好きになれなかった。

 

でもみんなは、ひょっこりひょうたん島について話すのだ

 

ぼくは恐いと思ったけれど、こういった、なんだかわからない不気味さだとか、暗さだとかが子供にクリエイティブな刺激を与えるのだと思う。

 

全てが明るくてはっきりしていて、当たり触りのないものを作るのは簡単だ。

 

子供が喜ぶようなものだけを与えるというのは、本当の意味の教育ではないのかもしれない。

 

CG の製作が楽だとは言えないけれど、ボタン一つで色を変えられる、作品にはクリエイティビティは宿れない。

 

ちょっぴり恐い、ひとりでは恐る恐るみるようなドキッとする、不可思議なアートのほうが、宇宙全体を現してはいないだろうか?

 

そこにある深さの違いがアートとエンターテイメントの違いなのかもしれない。

 

続く>